小屋づくりに向けて、森を整地している。直径40センチあるアカマツの抜根作業は果てしなく、疲れて動けなくなるとハンモックに横になり、どういう風に家を建てようか思案する。
世界を見渡せば、自ら家をたてる人間は意外と多い。20世紀、アメリカのフィリップジョンソンという建築家は「少年は樹上に家を持ち、少女は人形の家を持つ」という言葉を残した。私ははじめてこの詩的な言葉をみつけたとき、とても嬉しい気持ちになった。秘密基地を実際につくったことのある子どもはきっと多い。私も近所の友人と秘密基地を2つも3つもつくった。その延長線上に、今度はちゃんと住める家をつくろうとしている。
夢とか情熱とか、そういうものに人間は揺り動かされる。小屋をつくるにあたって色んな先人から学ばせてもらっているが、どうやら日本人は精密さに長ける一方、現実的になりすぎる傾向があるようである。たとえば、基礎一つとっても、よくよく動画を観ていると、凍結深度のために必要な穴の深さや、基礎の砕石と捨てコンの分量にうるさかったり、束柱を腐らせないための防腐塗料の塗り方や、通気パッキンまでも丁寧に設置しようとする。科学的であり、頭の肥やしにはなるが、抱く感想は”難しそう””めんどくさそう”とか、”自分にできるかな”という不安である。
ここのところ、海外の人間は何とも楽しそうにやってのける。丸太の上にいきなり土台を組んでしまったり、ツーバイフォー木材など使わず、廃パレットや、ありあわせの材料で自由自在にやっている。断熱も気密も、必要以上に過敏にならず、できることを最低限やればいいというスタンスだ。神経質に言えば、土台を置く丸太が土に直接面していれば、数年で腐り始めるだろうが、もし家がダメになれば作り直せばいいのである。
現実を見すぎて、しっかりやろうとこだわりするほど、知らぬ間に少年の翼を失い、地上のしがらみにまとわりつかれるようになる。その結果、できあがる小屋はどれも似たような、ツーバイフォー工法のものばかりだ。その点、海外には翼のある少年が多い。彼らの創作に見入ると、こちらまで楽しくなって夢をみる。一昨日はつい魅了され、徹夜で設計を考えたほどだった。現実的な技量もいい小屋づくりには必要だが、家づくりにあるべき第一は夢と情熱であろう。縮こまるより、大きく伸び伸びと。そんなことを思いながら、果てしない抜根作業へと戻るのである。
2024.8.25
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