舟に刻みて剣を求む[755/1000]

おお、わたしの友だちよ!認識者として、わたしは言おう。羞恥、羞恥、羞恥―これが人間の歴史なのだ!

だから高貴な者は、ひとに羞しい思いをさせないようにする。また、すべての苦しみ悩む者を見ると、自分自身が羞恥を感じるように努める。

ニーチェ,「ツァラトゥストラはこう言った」

信仰の弱い人間は、新しいものを取り入れ、古いものを淘汰する。力の破壊ではなく、無力の淘汰である。これを堕落という。若輩者の私は、克己のために新しいものを遠ざける。街から離れ、山にこもる。なるべく古いものを身の回りに置く。―古い考え、古い言葉、古い慣習、古い本、古い棲家。

「舟に刻みて剣を求む」とは、古代中国で、天下統一を成し遂げた秦の丞相、呂不韋が著した「呂氏春秋」の言葉である。長江を渡って、水に剣を落とした楚人が、慌てて舟にしるしをつけた。「ここが剣を落とした場所である」と。だが、舟は進みつづけ、剣はもうそこにはない。舟に刻みて剣を求むとは、古い価値や慣習にこだわって、時代の移り変わりに置いていかれる例えである。なんとも間抜けな話だが、誰にとっても他人ごとではあるまい。

人間は、とうに大事なものを落とした。羞恥、羞恥、羞恥だ。流れ行くと書いて流行と言う。流行を追う人生は、舟で流され続けるのと同じである。俺は舟を降りる。水に飛び入り、剣を求む。気を赦せば舟にしがみつきたくなることもあるが、何度も、水に潜り行く。それが人間の真の尊厳だと信じるのである。

 

2024.7.13

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