精神は身体の戦闘と勝利をつたえる伝令だ。[752/1000]

わたしたちの心境は上方にむかって翔ける。この心境が、わたしたちの身体の比喩であり、上昇するものの比喩なのである。もろもろの徳の名称も、このような上昇するものの比喩なのだ。

こうして身体は、歴史をつらぬいてすすむ。生長するもの、戦うものとして。そして精神とは、―身体との関係から見て、何であろうか。精神は身体の戦闘と勝利をつたえる伝令だ。身体の戦友、身体の反響だ。

ニーチェ, 「ツァラトゥストラはこう言った」

一途に ひたむきに

雄々しき山岳が 晴れ晴れと広がる

畦道を抜ければ 身体は戦いを忘れて

寂れた茶屋の椅子で 汲みたての湧水を飲む

 

自分を貶めるもの、辱めるもの、卑しめるものを、悪意に屈した人間は、自ら求めるようになる。これを自虐と言う。自虐とは、無気力な精神につけこんだ、女々しさの暴挙である。悪意の出所を辿ってみれば、多かれ少なかれ、女々しさを温床にしている。雨は大地を潤した。女々しさが大地から生まれる潤いならば、淀み腐らないように風と太陽がいる。義を失い、愛を謳う現代人は、空を見ることを忘れた。国のために働くより、地域のために働くことが仕事のすべてとなった。淀んだ水が腐るように、愛もまた晴れやかさを失う。そのために身体は精神を友として、晴れ晴れと広がる雄々しき山岳へ、脇目を振らず歩みをすすめる。

 

2024.7.10

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