人、道を問うに答うる
飢え来って飯を喫し、倦み来って眠る
只此の修行、玄更に玄
世人に説与するも渾べて信ぜす
却って身外に従って神仙を覓む
王陽明
殺生を怖れ、猟師を断念すれば、己は生涯、生きんとする意志を、静かに否定することになるだろう。生きるために食う。食うために殺す。その覚悟を据えられなければ、「生」は意志の前に跳ね返される。当然、殺生に加担すれば、己の臓腑は罪業に焼かれる。どんな理由であれ、生き物を殺めて正しいことなど一つもない。綺麗ごとに赦しを得ようか。否。罪を抱えたまま生きるしかない。生き物を殺め、平然としていられるほうがどうかしている。食うことも眠ることも、生活のすべてが行となる。すべてを一つの運動律のなかへ放り込む。赦されないのなら、赦されないままに。
2024.6.27
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