自分を赦そうとするより、自分に義しく怒ってやれ[726/1000]

力の信仰者が義しき怒りを重んじたことと、旧約の神が”怒りの神”であったことは偶然ではあるまい。宇宙は力によって誕生し、歴史は力に刻まれてきた。イエスが愛を説いたとき、愛を支える義しき怒りを滾らせていたと確信する。暗澹に燃え盛る生命の炎は力であり、人間が力を最も引き出せる感情は怒りである。争い、奪い、殺し合う。負の側面は己の身をも焼き焦がした。愛は自殺を赦さぬが、怒りを完全に失えばやがて無力が訪れる。現代に蔓延る無気力と無関心は、義しさを失った怒りへの張りぼて道徳から生まれる。俺はこう言いたい。自分を赦そうとするより、自分に義しく怒ってやれと。己の頭を撫でるより、己の顔をぶん殴ってやれと。人間は炎を失っちゃ駄目になる。希望を、炎を、ここで絶やすまい。

 

2024.6.14

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