イーヴはそう言って、この呪われた時に無分別にも手を差しのべて果物を取り、引きちぎり、口にした。大地は傷の痛みを覚え、「自然」もその万象を通じて呻き声を洩らし、悲歎の徴を示した、すべては失われた、と。
ミルトン「失楽園」
人間はこの世の創造物を通じて神意を伺ったに違いない。海に恵まれ、里山に恵まれた日本の風土を思えば、日本の神様は旧約の怒りとかけ離れていたことは想像に容易い。日本には殺伐とした曠野も魚のいない死海も存在しない。大地は潤い、自然は動物を慈しみ、太陽は平穏な徴を示しただろう。課された罪に赦しを乞おうとするよりも、自然の賜物に感謝し、慈しみの心に笑っているほうが日本人には合っていよう。罪など知らなくて当然だ。祈りの慣習もなくて当然だ。大地に根づいた生活そのものが神の道であり魂の礎である。そんな百姓くさい考えも悪くなかろう。
2024.6.2
コメントを残す