自然の賜物に感謝し慈しみの心に笑っているほうが日本人には合っていよう[714/1000]

イーヴはそう言って、この呪われた時に無分別にも手を差しのべて果物を取り、引きちぎり、口にした。大地は傷の痛みを覚え、「自然」もその万象を通じて呻き声を洩らし、悲歎の徴を示した、すべては失われた、と。

ミルトン「失楽園」

人間はこの世の創造物を通じて神意を伺ったに違いない。海に恵まれ、里山に恵まれた日本の風土を思えば、日本の神様は旧約の怒りとかけ離れていたことは想像に容易い。日本には殺伐とした曠野も魚のいない死海も存在しない。大地は潤い、自然は動物を慈しみ、太陽は平穏な徴を示しただろう。課された罪に赦しを乞おうとするよりも、自然の賜物に感謝し、慈しみの心に笑っているほうが日本人には合っていよう。罪など知らなくて当然だ。祈りの慣習もなくて当然だ。大地に根づいた生活そのものが神の道であり魂の礎である。そんな百姓くさい考えも悪くなかろう。

 

2024.6.2

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