夢と現実が溶けあい、死と生が混ざりあう。宇宙のなかを夢遊して、永遠の灼熱に汗をながす。
この世の境界が曖昧なものになるほど、形の有無など一つの性格にすぎないのではないかと思う。
生身の人間と会っても決して慰められることのない孤独が、どうして生身のない人間の言葉によっていきいきとするのだろう。
どんな出会いに価値がある。純粋な出会いを欲するほど、肉体は足かせとなるではないか。
宿主の我々は、物質をとおして互いの存在を確認し、地球を旅する束の間をたたえあう。
「よう。あいかわらず、元気にやってるか。」「人間、楽しんでるか。」「地球の酒はうまいな。」「いつごろ故郷に帰れるだろうか。」
地上の苦楽と、戦いに傷ついた心身をたたえ合いながら、ときに快楽に興じ、最後には必ず故郷に思いを馳せるのである。
しかし、大体の場合は魂の自覚すらなく、虚無の冷気に身体をすりよらせることしかできない。
もしくは、肉体の枷に苦しみながら、どうにかして愛の道を切り開こうと、互いの苦心を打ち明ける。
肉体をとおして人に出会い、肉体を超えていきたいと切望する。
それが可能となる瞬間にロマンチックな幻想を抱く。
夢と現実、死と生が混ざり合う「その場所」において、出会いは真に出会いとなっていくのである。
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