形骸化だろうと俺は足を引き摺ってでも千日まで行く覚悟だ[672/1000]

倦怠はもはや俺の愛するところではない。忿怒と自堕落と無分別、―俺はその衝動も災禍もみな心得ている、―そんな重荷はすっかり下された。俺の無邪気の拡がりを、心を据えて検べてみるとしよう。

ランボオ「地獄の季節」

形骸化だろうとなんだろうと、俺は足を引き摺ってでも千日まで行く覚悟だ。魂に焦がれ、オーストラリアの砂漠に干されながら歩いたのは、もう随分前のこと。倦怠に背を向け始まったこの旅路が、まさかこうも孤独になるとは思いもしなかった。旅は道連れ世は情けと言うが、俺にはどちらも欠けている。孤独に焼かれるほど、悪意に身を蝕まれる。情けない姿を晒すわけにはいかないが、そうしている方がずっと楽なのは確かだ。怠惰の根は、そう容易く絶やせるものではない。皮膚に棲み付いた寄生虫をどうにか枯木で燃やしてやろう。存在そのものを悪とは言うまい。だが、どうしてこうも同じ轍を踏んでしまうのだろう。ああ、まっとうな理性はどこに。俺は自分のすべてを無邪気の手に委ねたい。

 

2024.4.21

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