テントで生活を始めて4ヵ月が経つ。
先日、私の心が大きく揺さぶられた出来事が起きた。
私の元教え子(教え子と言うことが恐れ多いほど、私は何も教えられなかったが)から、言葉が届いたのだ。
とても驚いた。
けれど、こうしてブログやYoutubeをしていれば、元教え子がネットを漂流して私の元にたどり着くことも、あり得る話なのかもしれない。
もし彼ら、彼女らがこれを読んでいるのなら、私は最初にこう伝えたい。
ちゃんとお別れもしないまま、突然いなくなって、きっと驚いたことだと思う。
中には、寂しい思いをした人や、苛立ちを抱えた人、ただ不愉快だった人もいるかもしれない。
そんな人たちには、私はただ謝ることしかできない。
本当に、ごめんなさい。
私はいまこうして、自由気ままに、楽しく、旅の様子をブログや動画にしているが、一時たりとも当時のことを忘れたことはない。
今の私が楽しく生きることができているのは、先生として生徒と過ごしたあの時間があるからだ。
できることならば、私もしっかりと伝えるべきことを伝え、やめたかった。
もしかしたら、こうして不思議なご縁で再会した今こそが、その時の気持ちを、正直に伝えるときなのかもしれない。
正直に言うと、私は怖い。
今さら、言葉をつづったところで、受け取ってもらえないかもしれない。
「あの先生が、遠くで何かを言っている」と笑われるかもしれない。
それでも私は、最後まで、正直に書こうと思う。
この言葉を受け取ってくれる人が、一人でもいることを信じて。
1 罪を償うことは、自分を赦すことだ
自分の犯した過ちなんて、他人からしてみたら、それほど大したことではないのかもしれない。
いつでも大事なことは、自分が自分を赦せるかだ。
私は去年、学校の先生を4ヵ月で辞めている。
一言でいえば、「ひどい先生」だったと思う。
当時の私は、授業も学級経営も部活顧問も満足にできなかった。
授業はまとまりがなかったし、学級経営も部活顧問も、顔を出すことだけで精いっぱいだった。
当時を振り返っても、私は生徒に対する申し訳なさしかなかった。
ただ、最初からうまくいかない事なんて、承知の上で先生になったはずだったから、それでも頑張ろうと思った。
できないことなんて、大した問題ではない。
それよりも、できないことを嘆き、自分のできることをしないことのほうが、自分に対しても生徒に対しても、ずっと不誠実だ。
そんなことを感じていた。
私は持ちうる時間のすべてを、生徒のために使おうと決めた。
有名な先生の授業を、本やネットで研究して、寝る間を惜しんで授業づくりに励んだ。
ただ、これがきっと事を悪くしたのかもしれない。
私は自分を犠牲にしすぎてしまった。
3時間しか眠らなかった私の身体は、次第にボロボロになっていった。
持病の吃音も悪化し、話そうと思っても言葉が出なくなっていった。
電話ごしなんかだと、それが顕著にあらわれて、きっと保護者の人にも不安な思いをさせたと思う。
ボロボロの身体は、私の心までむしばんでいった。
疲れ切った私は、常に苛立ちを抱えるようになり、次第に生徒を愛せなくなっていった。
これは、私が生徒を嫌いになったという意味ではない。
私が私自身を嫌いになってしまったのだ。
私が私自身を愛せなくなってしまったのだ。
身体と心の限界に達し、このままでは、自分も生徒も不幸にしてしまう。
そう感じた私は、不本意にも、身を退くことにしたのだ。
2 罪を償うことは、正直に生きることだ
他人にどう思われようが、何と言われようが、自分を偽る苦しみに比べたら、そんなものは大したことじゃない。
誰からどんな言葉が飛んで来ようと、自分に正直に生きられる者が一番強い。
それで傷つくことがあっても、その傷は自分を正直に生きた誇り高き傷ではないだろうか。
2ヵ月というわずかな時間でも、私にとっては、先生をさせてもらった時間というのは特別なものだった。
今でも、当時かかわりを持った生徒の夢を見ることがある。
それもそうだ。
私は、彼らに伝えるべきことを伝える前に、姿を消すことになったのだから。
最後に学校へ挨拶に行ったとき、「生徒に一言挨拶をさせてもらえないだろうか」とお願いした。
けれども、その願いは「生徒への刺激が強いから」という理由で叶わぬものとなった。
結局私は、悔いを残したまま、その地を後にすることになった。
そしてその「伝えられなかった悔い」をずっと心に閉じ込めたまま、半年間生き続けることになったのだ。
私は、彼ら、彼女らに何を伝えたかったのだろう。
それは、4か月前、旅を始めた時に分かった。
私はただ、「ごめん」と謝りたかった。
私はただ、「ありがとう」と伝えたかった。
実は私の伝えたかったことは、この2つしかなかったのだ。
色んな気持ちや言い訳はあれど、つきつめれば、この8文字に私の想いは集約されていった。
- 苛立ち、当たってしまうような未熟な教師だったこと
- 下手くそな授業だったこと
- 学級も満足に経営できなかったこと
- 部活の顧問もつとまらなかったこと
- そして、最後には突然と姿を消したこと
私はすべてを謝りたいのだった。
それと同時に、
- 出会ってくれたこと
- 先生と呼んでくれたこと
- 授業を受けてくれたこと
- 話を聞いてくれたこと
- 貴重な学びを与えてくれたこと
私はすべてに感謝したいのだった。
….なんて言ったところで、今さら、何を言っているのだろうと冷めた目で見られることだろう。
きっと、私がどれだけ真剣に言葉を綴ったところで、友達との話題になるか、談笑のネタになるのが関の山だと思う。
それは悲しいことだけれど、仕方のないことだと思う。
私は無責任に姿を消した、記憶をかする過去の存在でしかないから。
正直、私はいまとても怖い。
これを書いた後、私は一定数の批判を受けることになると思う。
そして、多分傷つく。
傷つくことを分かっていて、いま書いている。
けれど、時には、傷つく道を選んだ方が、自分を大切にできることもあるのだと思う。
自分に正直になって得た傷ならば、それは自分を生きた誇り高き傷ではないだろうか。
恐れを抱きながらも、私が言葉をつづるのは、これを読んだかつての生徒にも正直に生きてほしい、という私の傲慢な望みなのかもしれない。
3 罪を償うことに終わりはない。
「けじめ」という言葉があるのは、罪を償うことに終わりがないからだと思う。
自分にとって、本当に責任を持つ生き方とは、どんな生き方だろうか。
私は、先生をやめたあと、「1人の人間」として正直に生きることを決めた。
「1人の大人」でも「1人の社会人」でもなく、「1人の人間」として。
この世の中は、正直に生きることがとても難しい。
正直に生きた人間は、傷つくことになるから。
だからおとなは、「現実は…」という言葉で、嘘をつくことをおぼえる。
傷つかないように、頭で損得ばかり考えるようになって、心がどう感じるのかは、蔑ろにする。
それは、自分を守りたいという善意なのだけれど、実は本当の自分はちっとも守れていない。
自分にとって、本当に責任のある生き方とはどんな生き方なのだろう?
自分にとって、最期に笑って死ねる生き方とはどんな生き方なのだろう?
正直、こんなことを書いている私も、100%正直に生きられているか、と聞かれればそんなことはない。
いまだに、自分に嘘をつきながら生きている。
けれど、東南アジアや日本を旅する中で、感じたことがある。
自分に嘘をつきながらも、正直に生きようとする葛藤こそが、生きる醍醐味ではないのか。
そんな葛藤に、もがくことに、その人らしさや、人間らしさ隠れているのではないか。
葛藤の中にも、希望を見つけて、自分を貫こうとするから、人生は楽しくなるのではないか。
先日読み始めた、サン=テグジュペリ著の「星の王子様」にこんな一節があった。
もしおとなに「バラ色のレンガでできたすごくきれいな家を見たよ。窓辺にはゼラニウムがいっぱい咲いていて、屋根にはハトが何羽もいるんだ……」と話しても、おとなはうまく想像することができない。
それにはこう言わなくてはならないのだ。
「十万フランの家を見たよ!」
するとおとなたちは歓声をあげる。
「それはすてきだろうね!」
私はきっと、つまらない大人にはなりたくないのだ。
見えないものを蔑ろにして、見えるものだけにとらわれる人間にはなりたくない。
私はきっとこれからも、正直に生きながら、嘘をつきながら、葛藤しながら生きていく。
死ぬときは、心が美しいと感じられる自分を精一杯に生きてから迎えたい。
これが先生をやめた、私なりの「けじめ」のつけ方なんだと思う。
4 最後に
きっと、この記事は色んな人に読まれるだろう。
ある人にとっては、お茶の間の談笑のネタとなり、ある人にとっては不愉快なものとなり、ある人にとっては何の意味もない戯言に聞こえるかもしれない。
それでも、こうして言葉をつづるのは、私は信じたいからだ。
自分の言葉を受け取ってくれる「誰か」がいるということを。
自分の言葉を胸に問うて、生きる糧(かて)にしてくれる人がいるということを。
それが裏切られる形になったときには、私はまた、傷つこうと思う。
傷つくことは怖い。
けれど傷つくことを恐れて、自分に正直になれないのは、きっともっと苦しいことだと思う。
信じることは、希望を持つということ。
微かな希望を抱いて、私は今日も生きようと思う。
さあて、言葉もつづったところで、どこかの世界で話題になっていようと、私は今の生活に戻ることにします。
お互いこの先の長い人生、万が一、どこかですれ違うタイミングがあれば、それは何とも喜ばしいことですね。
最後に、ここまで読んでくれて、本当にありがとう。
どうかこれからも、お元気で!
それから、Youtubeのチャンネル登録忘れないように!
…..なんてね(笑)
See you!
頑張って
グリーンピース食べましょう
そう言ってもらえると、嬉しいよ!
ありがとう。
グリーンピース…笑
よく、俺の嫌いな食べ物おぼえてるなぁ…笑
しっかり食べて、健康に生きるよ!
給食でグリーンピース出た時たまーに
先生の話題でますよ爆笑爆笑爆笑
嫌いなグリーンピースで思い出されるって、ちょっと皮肉ね(笑)
なんだか、グリーンピースも愛せそうな気がする。
コメントありがとう!
先生、今クラスで人気者ですよw
実際のところ、先生は私達のために体をボロボロにしてまで頑張ってくださったのに、それを私達が授業中ずっと喋ったりして、先生を潰してしまいました、それに関しては謝ります、申し訳ございませんでした。
私は先生のことが大好きでした、せめて卒業式には顔を出していただけませんか?おねがいします┏○ペコッ
長々と書いてもキリがないですのでここらで終わります
これからもずっとお元気で、いつか会えるといいですね
ににさん
素直で、とても美しい言葉ですね!
自分を正直に省みること、
自分の心の声を大切にすること、
そして勇気を持って言葉を贈ること。
そんなことができる、優しく、強い、ににさんなら、これからきっと素敵な人生を歩んでいくのでしょうね(^^)
卒業式に行けるかは分かりませんが、私はいつでも皆さんの「力」を信じています。
温かい気持ちになれるメッセージ、ありがとう!(^^♪
はじめまして!
岐阜県出身のまあくと申します。
ひろむさんの後輩です。
人生に迷ってしまいました。
そして、とむさんのテントに入りたくなってしまいました。
ぜひ、1日だけでもご一緒させていただけませんか?
お返事を楽しみに待っています!
よろしくお願いします!
まあくさん
初めまして、とむです!
ひろむの後輩さんなのですね。
テントにいらしたいとのこと、もちろんOKです!
いつでも歓迎しますよ!
基本的に、いつでも泊りは可ですが、
10/3(明日)
10/6(日)
10/9(水)
10/13(日)
この4日間であれば、しっかりとお話する時間が取れると思います。
また都合の良い日を教えてください(^^)
お久しぶりです。。
何やら最近『先生がYouTubeやってるよ!』と、いう声をよく耳にするようになりました。僕は帰ってから興味本位で調べてみました。すると、検索結果の動画で楽しそうにしているのは、あなたではないですか。正直ホッとしたと同時に何をしてるんだという気持ちが込み上げてきました。部活の顧問になって、これから生徒達を中体連に向けて引っ張っていくはずだったのに、急にいなくなるなんて。その時の僕の気持ちはなんとも言い表せないものでした。
ブログ読ませてもらいました。
学校に来たばかりの頃はまだ初々しく、新米教師というイメージでした。ただ、”やる気”に関しては、教師陣の中でもずば抜けていて、驚いてばかりでした。
「portfolio」というものを覚えていますか?
僕にはとても印象的なものでした。
僕が所属していた部活は、大会でも記録は残せず、市内では最下位レベルのソフトテニス部でした。どうにかして、次の大会に爪痕を残したい、その想いていっぱいだった部員達の前に突如現れたのがあなたでした。きくと、あなたは全国レベルと言うじゃありませんか。僕達はそれを聞いて期待に胸を弾ませました。どんな練習メニューなのだろう。そんなことを考えていた僕達にあなたは、portfolioという1冊の冊子を手渡しました。そこには、Can-do listという、難易度別の練習メニューが細かく書かれていました。
今考えると、教師になったばかりのあなたが、全7ページにも及ぶ資料を作るのはとてもハードだったと思います。
そして、冊子の2ページ目には4Powersと書いてあり、
--------------
1.Cherish people
-自分を大切にし、他人を大切にする力
2.Have your opinions
-自分の考えを持つ力
3.Express yourself
-自分を表現する力
4.Have courage and challenge
-勇気を持ってチャレンジする力
--------------
というなんともやる気のでる言葉が、英語教師らしく記されていました。練習がきつい時はたまぁにこの言葉を思い出してました。
そして、3ページ目。
『(前文省略)
部活の主役は皆です。
みんなのやる気がある限り、
先生はどれだけでも付き合いますよ』
とても心に残る言葉でした。
この言葉を信じていいのだろうか。
結果は瞭然ですね。。
すこしあなたは無理をしすぎたようです。
おつかれさまでした。
ありがとうございました。
あなたの最後の日、訳あって部活に行けなくて今まで言えずにいました。
このような形であなたと再開できるとは光栄ですね。
内田先生へ…
テニス部のサーブ眼鏡くん….
察しますよ(笑)
わざわざ、メッセージをありがとう。
期待に胸を弾ませていたのに、それを裏切る形になって、本当にごめんなさい。
僕はずっと、皆さんの部活を受け持てたこと、幸せでしたよ。
素直で、礼儀があって、やる気もある。
そんなひたむきな姿を見れば見るほど、「どうにか、この子たちの力になりたい」という思いはつのるばかりでした。
ただ申し訳ないことに、部活に顔を出せる頻度は、徐々に減っていきましたよね。
「力になりたい気持ち」と裏腹に、「力になれない現実」というのは、僕にとっても辛く悔しいものでした。
ポートフォリオに綴った言葉は、すべて僕の正直な想いです。
「これを皆とやり遂げたら、どれだけ楽しい部活になるだろう…!」
そんな高揚感をもって、皆さんにお渡ししたことをおぼえています。
できることなら、皆と最後までやり遂げたかった。
こうして、伝えきれずにいた言葉を、勇気を出して伝えてくれてありがとう。
おかげで僕も、こうして正直な言葉をつづることができます。
今”サーブ眼鏡くん”は、元気にされていますか?
自ら考えて行動を起こして、誰かに胸にとどめていた想いを伝える。
そんなことができる、貴方ならきっと、素敵なおとなに近づいていることでしょう。
こうして再会できたこと、改めてお礼を言わせていただきます。
ありがとう!
僕で良ければいつでも力になります。
また何かあれば、メッセージくださいな!
まあくです。
とむさん、返信ありがとうございます。
それでは10月6(日)にお邪魔してもよろしいでしょうか?
よろしくお願いします!
まあくさん
10/6ですね。承知しました。
どうか、お気をつけてお越しくださいね。
この後のやり取りは、LINEでできたらと思います。
お手数ですが、ページ下部のLINE@からご連絡いただけると、勝手がいいかもしれません。
それでは、今日も素敵な1日をお過ごしください(^^)
お久しぶりです。
先生の話題で盛り上がっていたので、気になって調べてみました。
そして、このブログに辿り着きました。
まずは、本当にすみませんでした。
あの時の僕は正直、新人教師だからといって見下していたし、そのせいか先生の授業だけ 真面目に受けていませんでした。今思えば、最低なことをしたなと。
他の先生には怒られたくないから他の教科はちゃんとする。
結局は僕が弱かったです。
身体がボロボロになるまで頑張ってくださっていたのに、その努力を踏みにじって。
先生の気持ちなんて少しも知ろうとせずに自分の意見ばかり押し付けて。
悪いことをするのはかっこいい、そう思って真面目にせず。
教師を辞めなくてはならなくなったのは先生の責任ではありません。
先生は僕らがいくら喋ろうと、騒ごうと、最後まで熱心に授業をしてくださいました。
先生の気持ちに気づくことが出来なかった自分が腹立たしく思えます。
せめてもの償い、というと変になるかもしれませんが
これからは一生懸命に勉強をしようと思います。
今更こんなこと言われたって。。。
そう思うのも当然でしょうけど、此処に綴った思いは全て本当です。
先生のおかげで変われました。
先生の授業、最高でしたよ。
僕は先生の人生応援します。
どうか、お元気で。
p.s. 卒業式、立派な姿見せますんで顔見せてくださいね。
Y.さん
お久しぶりですね。
自分の弱さを「弱さ」だと知り、恥じ、正直に認められる…..
私は、これこそが人間の、本当の「強さ」だと思っています。
・「自分が弱い」ことを隠す人間が強いのではなく、
・「自分が弱い」ことを正直に認められる人間こそが、本当は強い。
認めるためには、謙虚であり、勇気を持つことが必要ですから。
私は、Yさんの言葉を読ませてもらって、とても嬉しかったですよ。
ただ出まかせに言っているのではなくて、「本当に変わっている」ことが文章からしっかりと伝わってくる。
念のためにお伝えすると、私はYさんを含め、全ての生徒さんたちに、償いなど一切求めていません。
どうか「自分のため」に生きてください。
私も私のために精一杯生きますから。
自分を大切にできているようで、実は大切にできていないことが、世にはたくさんあります。
本当に自分を大切にできる生き方とは、どんな生き方なのでしょうね。
そんなことを問い続けていくかぎり、きっと人生はよりよい方向に拓けていきます。
私はいつでも、皆さんを応援していますよ。
改めて、最高のメッセージをありがとう!
初コメント失礼します。
先日、自分勝手な行動で大切だと思える後輩を失くしてしまいました。
その時の僕は、自分のことしか考えられなくて、感謝を忘れていました。
とむさんのこの記事を読んで、泣きました。ごめんとありがとうだけは伝えて、前に進もうと思えました。
自分が犯した出来事は消えないですが、大切な人にいつもありがとうと言える人間になりたいと思います。
とむさん、本当にありがとうございます。