番長
仕事が辛くて、ニートが羨ましいと感じていませんか?
そんなあなたに、まずお伝えしたいのは、、、
「ニートは楽じゃない。」ってことです(笑)
- 社会に貢献していない罪悪感
- どこか充実しない空虚さ
- ところどころ押し寄せてくる自己嫌悪
- 快楽が無くなった時に襲われる将来の不安
僕は、新卒で教員になってから2ヵ月で体調を崩しました。
そこから、2か月間休みを取って、その2カ月後に退職をしました。
退職した後は、しばらくは好きな事をしていましたが、気付けば毎日ひたすらゲームをする単調な日々。
「そんな生活が送りたいんじゃああ!」
と思われるかもしれませんが、この生活思ったほど楽じゃないです。
もちろんニートの生活をしてみて、良かったところもあります。
この記事では、辛かったところも良かったところもひっくるめて全部紹介していきます。
Contents
1 ニートが羨ましいのは表面しか見えていないから①
まず、ニートが羨ましいと思うのは、表面上しか見えていないからなんです。
- 毎朝好きな時間に起きて、
- 好きな物を食べて、
- 好きなことをして、
- 好きな時間に寝る!
「最高じゃん!」と思われるかもしれませんが、それはあくまで見かけのこと。
そんな生活を送ることができるのですが、そればかりではありません。
- 貯金残高を常に気にしながら生活して、
- 社会復帰の不安におびえて、
- 堕落した生活に自己嫌悪を覚えて、
- 目先の快楽と闘う日々。
そう考えると、ニートは本当にストレスから自由になるのか!?の答えは、YESであり、NOです!
いくら身体的に自由になったとしても、精神的は自由は別に獲得する必要があります。
僕の場合、仕事をやめた直後のニート生活は、オーバーワークだった身体を休めるのに最高のものでした。
足りていなかった睡眠を思う存分取れて、自分の費やしたかったことに時間を費やせるので。(当時は1日15~18hくらい働いていました)
ただ、1週間くらいで身体が休まると、社会活動に参加していないことに対して、強い不安を感じるようになりました。
- 「自分だけ働いていなくていいのか?」
- 「自分は社会にとって害悪になっていないだろうか?」
- 「自分は落ちこぼれていないか?」
- 「このままでお金はどうするか?」
- 「社会に復帰できるのか?」
特に、一緒に働いていた同期が、せっせと職場に向かう姿を見ていると、どこか後ろめたさを感じます。
肉体的なストレスは確かになくなりますが、精神的に充足感は受け身の姿勢では得られないのです。
2 ニートが羨ましいのは表面しか見えていないから②
では、1のような不安感に耐え切れなくなるとどうなるのでしょうか。
不安感に耐え切れなくなると、快楽に逃避するようになります。
- ゲーム
- ネット動画
- 漫画
- ジュース・お菓子
- 酒、タバコ
- 性行為 etc.
快楽は、不安を瞬間的に打ち消してくれる道具です。
経験があると思いますが、ゲームをしている時や、YouTubeを見ている時って、不安が無くなりますよね。
ただ、これは不安を解決したわけではなく、ごまかしているだけです。
快楽を終えると、また強烈な不安に襲われてしまいます。
そして、その不安を打ち消すために、またゲームをしてしまう…というように、不安が常につきまとうニート生活は、快楽に依存しやすくなります。
『不安感→ゲームに逃避→罪悪感→不安感→ゲームに逃避→…』という悪循環ですね。
ニートの人というと、ゲームをずっとしているというイメージがあるかもしれませんが、あれは、
“ゲームが好きだからゲームをしている”のではなく、“ゲームをしないと不安感に押しつぶされてしまうからゲームをしている”のです。
このような依存生活は、快楽の奴隷であるのと同じです。
快楽に縛られている限り、精神的な自由はありえません。
果たして、このような快楽主義の生き方が幸せなのか?と考えると僕は疑問を感じました。
(ちなみに僕は快楽に溺れて、1日18時間くらいゲームをしていました笑)
3 ニートが羨ましいなら、一度するべき?
これまで、散々ニートをして大変だったことを書きましたが、僕はニート生活をしてみて良かったと思っています。
だって、人生で一度はやってみたいじゃないですか、毎日好き勝手に生きる生活(笑)
僕の中で、ニート生活は『人生やりたいこと100個のリスト』を1つ消費したような感覚です。
それに、実際にニートをしてみて、学びもありました。
- この記事でまとめたような、ニートの楽しさと辛さを知ることができたし、
- 自分への期待値が下がって、生きてるだけでありがたいなと思えるようになったし、
- 生きてる全ての人、働いている全ての人に、尊敬の念を抱けるようになった!(笑)
特に僕の中では3つ目が大きいです。
「生きること」それだけで、”超ハードモード”なのに、みんな当たり前のように生きてる!
それに働いている人もいる!
本当に「すげー」と思ってますこれ。
この感覚が得られただけでも、ニート生活をしてみて良かったなと思っています。
4 ニートが羨ましいけど、本当に幸せになれるのか?
結局1番大事なのは、ニートになる選択があなたにとって「幸せ」になるかどうかなんです。
けど、それはやってみないと分からないというのが本音ですよね。
だから僕は、自然の流れに身を任せてもいいんじゃないかなと思います。
仕事が本当に大変で、心身が疲弊しているのであれば、休んだ方が自分を大切にできますし、自分の心の声を大切にすることって、決して無駄なことではありません。
働かないことに対して不安を感じるかもしれませんが、ニートをしてみて違うなと思ったら、また働けばいいのではないでしょうか。
ニートをしてみないとニートが自分に合うかどうかなんて分かりません。
そんな経験もひっくるめて、自分の「幸せ」の形が出来上がっていくと思うんですよね。
どんな選択をしようと、学ぼうとする意志がある限り、人は前に進めます。
5 ニート生活を終えて僕が再認識したこと
最後に、3ヵ月間ニートをしてみて、感じたことを書いていきます。
僕はやっぱり、”快楽主義的な生き方じゃなくて、社会に貢献することや、自分の意志で何かをする生き方の方が幸せだな~”って思いました。
そして、“自分”という人間はこんなにも弱い人間だったんだなということも再認識^^;
ニートは絶対悪でもなければ、絶対善でもありません。
大事なのは、どんなことをしていようと、自分を大切にする生き方ができているかどうかです。
表面上の見かけにとらわれず、あなた自身が自分を大切にする生き方を選んでいけることを応援しています!
では!
良い記事ありがとう。
働いても働かなくても悩みを持つのはみんな同じですよね ニートの時は周りが毎日会社に行くっていうだけで尊敬、っていう感覚だったし、周りが同僚や先輩の話を楽しそうにしているのを聞いても今の自分にそういう話ができないのも寂しい気分でした。
今は、自分が働き出してみると今度は、会社にちゃんと貢献出来てないんじゃないかっていう不安やそれぞれ価値観の違う同僚とどうやってうまく仕事するのがベストなのか、などニートの時とはまた違う悩みが出てきました。
どんな事も経験してみないとわからない事だし、何が良くて何が悪いとかは無いので、ニートの経験にも、働いてみて得た悩みやそこで出会えた同僚にも感謝してます。
でも、とむさんの言うように、まず自分を大切にする事が出来てるって
いう充足感をもって働くのが大前提だなと思いました。自分を犠牲にしてまで会社に貢献するのはおかしい話だし、みんなが自分のベストな選択ができるように行動するのが大事ですね。
いつも大事なことをブログを通して教えてもらってます。ありがとう
悩める骨付き鳥さん
コメントありがとうございます。
すごい!こうして、悩める骨付き鳥さんが、過去の経験や今の境遇、そして人との出会いに感謝することができているのは、ご自身を大切にされている証拠ですね。
そんな悩める骨付き鳥さんだからこそ、今抱えていらっしゃる悩みも温かく受け入れて、自分の足で前に進んでいかれるんだなと、文章を読みながら想像しておりました。
環境が変わるたびに新しい悩みが生まれるように、生きている限り悩みはつきものかもしれませんね。「社会に貢献できているか」、「同僚とどう働くか」…色んな悩みがあるかもしれませんが、それも悩める骨付き鳥さんがご自身の人生を自分の足で歩まれているこそのものです。そんな姿、僕はすごくカッコイイって思います。
応援しています!自分を大切に、自分らしくやってきましょ!
とむ