静岡県三島市にいる。
原付にテントと寝袋を積んだ生活を始めて、もうすぐ1か月が経とうとしている。
自然のリズムで生きることが心地が良い。
森のなかを歩いて、小鳥のさえずりを聴き、
山に登り、霧がかった新鮮な大気を、肺一杯に吸い込んで、
海で、波が音を立てながら寄せては引いていく様子を見る。自然のリズムで生きていると、自分も自然のリズムに同調するのが分かる。
すごく穏やか。— とむ(日本一周テント生活) (@tomtombread) June 16, 2019
私はいま、自然の中で生きている。
森のなかを歩いては小鳥のさえずりを聴き、
山に登っては、冷たくて新鮮な大気を肺一杯に吸い込んで、
海に行っては、波が寄って引いていく様子をボーッと眺める。
こんな生活を送っていると、自分にも変化が訪れる。
そんな変化を綴ろう。
1 自然のリズムで生きると朝が変わる
テント生活を初めて以来、朝の5時には目が覚める。ちょうどこの時間に小鳥たちも起きるようで、さえずりが始まる。
5時なんて早すぎる、もっと寝させてくれと家住まいのときは思ってたけれど、今ではこのリズムがすごく自然で優しいものに感じる。
— とむ(日本一周テント生活) (@tomtombread) June 2, 2019
「朝起きることが辛い」と思うことは一切なくなった。
私はもともと、朝起きるのが苦手な人間で、8時や9時に起きることも珍しくはなかった。
けれど今では、毎朝5時、早い時には4時には、自然と目が覚める。
不思議なことに、「早い」という感覚はまったくなくて、今ではこれが「動物として自然のリズムだ」とさえ感じる。
アラームはもちろん使わない。
差し込んでくる朝日や、小鳥の鳴き声が、その代わりをしてくれる。
小鳥には、いっせいに鳴き出す瞬間がある。
静かな世界から、1日の始まりが合図される瞬間。
その瞬間と一緒に目が覚めたとき、大勢の鳥たちの仲間になれたようで、すごく嬉しくなる。
たまに、就寝が遅くて6時くらいに目が覚めると、朝焼けはすでに去り、小鳥はすでに活動を始めている。
そんな光景を見ると、「出遅れた」って感じてしまう。
夜は10時、遅くても12時には寝る。
最初のころは、これまでの生活の惰性で夜更かしをすることもあったけれど、今では就寝前にスマホはさわることはほとんどなくなった。
最初は「WiFiやコンセントがないから」という動機だったけれど、自然とさわらなくなっていった。
これは
- 「夜更かしをする一瞬の快楽」よりも
- 「朝気持ちよく目覚めることの喜び」の方が
ずっと後味が良いことを知ってしまったからだと思う。
早朝の新鮮な空気のなか、きれいな朝焼けとともに目を覚ますことは、本当に気持ちが良い。
何気なく迎えていた朝が、毎日の楽しみの1つに変わった。
余談だけれど、4時に起きると1日がとても長く感じる。
私はいま、こうしてブログを書いたり、旅の動画編集をしたりするのだけれど、「ひと仕事終えた!」と思っても、まだ9時や10時。
「これが自然のリズムだったんだ」って今では思う。
2 自然のリズムで生きる人間らしさ
自然のリズムで生きると、
「反射的」に生きることが減って「人間らしく」なる
私は以前に増して、「自分」を生きられるようになった。
自分の弱さと対峙して、良くも悪くも「人間」として生きることを学んでいる。
これは私が
- 「自律した」のではなく
- 「反射しなくなった」
ことが大きいのだと思う。
普通に生きてれば、色んな「刺激」を浴びる。
街を歩けば、人や広告であふれ、一人になればスマホを開く。
スマホの中も、色鮮やかなゲームから、SNSやYoutubeまで刺激はつきない。
刺激をあびて反応しつづけていれば、人はマヒする。
誤解を恐れずにいえば、人は自分をごまかせるようになる。
慣れてるんじゃなくて、麻痺してるだけよ。
— とむ(原付テント生活) (@tomtombread) June 7, 2019
孤独感は、SNSをひらけば和らいでいく。
「本当は今の仕事なんてしたくない」と思っていても、お酒を飲んで愚痴をこぼしていれば、ごまかされる。
嫌でも仕事に行っていれば、お金がもらえる。
お金がもらえれば、精神安定剤になって「まあいっか」と思えてしまう。
これじゃ「慣れた」というより「麻痺した」だけじゃないか、ってたまに思う。
刺激に反射していれば、自分の弱さと向き合う時間を奪われていく。
「人間」として生きる前に、反射的、惰性的につい生きてしまう。
自然のリズムの中で生活していて、そんなことも変わっていった。
感情は「味わう」だけじゃなくて「貫通」した方がいいと思う。
目先の感情を快楽でごまかすことなく、味わい続けてストンと貫通させる。孤独をつき抜けた先の自分、恐怖をつき抜けた先の自分、そこにいるのはどんな自分なのだろうか。
人間の深みってそんなところにあるんじゃないかな。
— とむ(原付テント生活) (@tomtombread) June 17, 2019
「感情は貫通したほうがいい」と思う。
味わうだけじゃなくて、「これでもか」ってくらい味わい尽くす。
途中、嫌になって刺激でごまかそうとするのだけれど、それでも孤独と向き合い続ける。
すると、あるところでストンと貫通する。
私は、孤独をつき抜けた人間や、恐怖をつき抜けた人間に魅力を感じる。
そんなところに、人間の深みのようなものがあるんじゃないかって思う。
社会のリズムと、自然のリズムは違う。
不思議だけれど、より人間らしく生きられるのは、後者なのかもしれない。
3 自然のリズムで社会に適応できるのか
昨日、伊豆半島一周を終えて、神奈川にとある人に会いに行く予定だったのだけれど、都会に近づくにつれ、人工的な音や、機械的に歩く人、色んなものに打ちひしがれて、結局引き返すことにした。
自然のリズムが体内に浸透すると、社会のリズムが荒く感じてしまう。
— とむ(原付テント生活) (@tomtombread) June 17, 2019
自然のリズムで生きていると、
人工のリズムに違和感をおぼえる。
じつは昨日、伊豆半島一周を終えて、神奈川在住のとある人に会いに行く予定だった。
けれど都会に近づくにつれ、人工的な音や、機械的に歩く人、自然の見えない景観に打ちひしがれて、引き返すことにした。
その後は神奈川を背に、箱根に向かった。
箱根の急な山道を登り、高いところから芦ノ湖を見下ろす。
自然に包まれると「自分の居場所に帰ってきた」ような感覚になる。
自然のリズムで生きていれば、人工的な環境への適応は難しいのかもしれない。
現にいま私は、「自然ではないもの」を目の当たりにすると違和感を感じて苦しくなる。
人の心に関してもそう。
社会に適応するために身に着けられた「本心ではない取り繕った言葉」に抵抗感を感じる。
そんな言葉を自分が発することはもちろん、見聞きすることも、ちょっと苦しい。
どちらが正解なんてないのだけれど、
「どんな風に生きたら、より自分らしく、人間らしく生きられるか」
これだけは常に問い続けたい。
スマホの色彩設定を、グレースケールにしてから2カ月がたった。
今では、色のついた画面を眺めると、目がチカチカして耐え難くなる。
人の慣れ(麻痺)は、凄まじいって思った。
私に、住む場所なんてあるのだろうか。
私に、落ち着ける居場所なんてあるのだろうか。
たまに、そんな不安を感じる。
けれど、きっとあるって信じてる。
この世界のどこかには。
こんばんはー!
久しぶりに来たら、またすごいこと挑戦してますね笑
わたしも有言実行でブログ始めましたー♪
引き続きお互いがんばりましょー♪
Harunaさん
こんばんは
お久しぶりです!元気にされてますか?
こうしてはるなさんの言葉を、再び受け取ることができたこと、感動してます
ブログ始められたのですね!
色んな想いのもと、始められたことでしょう。
もしよければ、ぜひブログ読ませてください
来てくださったように、ボクも遊びに行きます