埼玉は朝霞市で、Mさんにお会いした。Mさんからは、3日ほど前に「いつか会ってみたい」とLINEを頂いた。
いつか会ってみたい、という言葉が私はとても苦手で、「いつか」はいつになっても「いつか」のままなので、このままメッセージのやり取りを終えたら、一生会わないまま終わるだろうなと感じ、「提案ですが、今会う予定決めませんか」とお伝えしてみた。
そして、急遽、3日後の今日お会いすることになったのだった。
Mさんは、昔オーストラリアを旅していた時の写真を5枚ほど持参した。ホストファミリーと一緒に写っている写真を拝見して、私は「ああこんなご経験をされたのですね」と伝えながらも、正直あまり興味はわかず、今の話がしたいなと思った。
Mさんは私がオーストラリアを横断したことを知っていた。オーストラリアの旅はどうだったか、と色々と聞いてくださった。質問に答えながらも、やっぱり昔の話より、今の話がしたいなと思った。
渡豪したのは2年前だと伝えると、Mさんは最近だねと反応したが、私は遠い過去だと答えた。
「まだお若いからそう感じるのでしょうね」とMさんは言ったが、「今を重ねれば重ねるほど、過去は遠くなるのだ」と私は思った。
「今の話がしたい」とMさんに伝えた。すると、今の話って何だろうという話になった。それを2人で考えるところから始まった。
2人で考えながら、今この考えている瞬間は、今だよねとなった。2人で一緒に答えを探求する時間は、一緒に冒険しているようだった。
Mさんとお会いしてから、Mさんを今ここに感じられず、寂しいと感じていた私だった。しかし、一緒に冒険を楽しんでいるこの瞬間は、寂しさは消え、Mさんが目の前にいる感触を得た。
私はこの一緒にいるという感覚を大切にしたい。過去の話は、ここにはないから、一緒に体験することはできない。でも、今は一緒に体験できる。せっかく今、会っているのだから、今の時間を過ごしたい。
議論を重ねていくうちに、「今感じていることが今の話だ」という1つの結論を得た。感じていることの、対になるのは思考で、思考に今はない。
Mさんは、胸に手を当てながら話をする人に出会ったことを教えてくれた。「なんでこの人は胸に手を当てながら話しているだろう?」と疑問に思ったそうで、今その答えが腑に落ちたという。
胸に手を当てると、自分と繋がれる。自分が感じていることとの繋がりを絶やさないために、胸に手を当てて話をするということだった。
その話を聞いて、私も胸に手を当てて話を聞いた。
しばらくは、今の時間が流れた。今の時間は分かりやすい。
繋がっている感覚がある。安心できる。楽しい。元気になる。感情が動く。笑いが起きる。温まる。
一方、今じゃない時間も分かりやすい。
不安。つまらない。寂しい。孤独。置いてきぼり。退屈。冷める。
「過去に行きがちな癖がある」と語るMさんは、たびたび今じゃない話をしたが、しばらくすると、ハッと我に返って、「今過去に行ってた!」と言った。その都度、私は「おかえりなさい」と言って、笑い合うみたいなやり取りを、2度3度、繰り返した。
過去の話が悪いというわけではない。過去の体験には、知恵がつまっている。知恵には体温がある。
しかし、その知恵や体温は、今を生きるために使いたいと思う。
ただの自慢話は、今が冷める。けどおばあちゃんの知恵話は、今を温める。
この違いはとても大きい。
Mさんとお別れした今、Mさんが一生懸命話していた昔話を、私は何も思い出せないでいる。。。不思議というか、恐ろしいことが起きてしまったと感じている。ちゃんと話を聞いていたはずなのに、今、まるで空っぽなのだ。
そのままお別れも微妙なものになった。お金も時間も労力もかかって、オレは一体何をやってるんだ?みたいな虚しさに襲われた。
自分のポンコツ具合がどんどん露呈する。しかし、そんなことを思うのはMさんに対して失礼極まりない。
今の話をしているとき、Mさんから「今、解決できないことってありますか?」という問いを受けた。
私はしばらく考えた後、悩みという概念すら、今を生きているときには存在しないと思った。
このまま虚しさを感じたまま朝霞を去っても、断たれちゃうだけだと思うので、きっと今このブログを読んでくださっているだろうMさんに、今感じていることを、そのまま伝えることが今の僕にできることかなぁ。
街の運転の疲れがどっと出たのか、今とても眠い。。。。。
疲れてるからか、今日も乱暴なブログになっちゃったなぁ~。ほんとごめんなさい!
ごめんなさいと書きながら、恥さらしですが、もうこのまま未熟な自分をそのまま残すことにします。
では今日はこの辺で。もう本当にすまねぇ・・・!なんだかもう分かんなくなってきた〜!
寝る!また明日、ばいばい!
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