強くあれ、幸福な生涯をおくれ、しかして愛せよ!しかし、何よりもまず第一に神を愛せよ、神を愛することは神に従うことだ。神の大いなる命令を守れ。情熱のために判断を誤ち、普通ならばお前の自由な意志が許さないことをしでかすことのないよう、注意することだ。お前とお前のすべての子孫が幸福になるか、不幸になるかは、お前自身にかかっている。
ミルトン, 「失楽園」
私は人間が人間たるに必要なものごとを、天使がアダムに告げたこの言葉のうちにみる。強くあれ!これは何よりも基本だ。いかなるときも、われわれは強さに向かっていける存在であることを忘れてはならない。不覚をとれば、弱さに立ち止まることもある。だが、それは誤った心の持ち方であることを覚えておこう。心が折れても何度だって立ち上がることができる。なにくそと跳ね返すことができる。「それでも自分は駄目だから」と思わせてくるものが弱さである。巷では「そうだよね」と弱さに寄りそうことを教えられるが、私は問答無用に跳ねのけてしまうほうが、恥ずかしさを感じない。
心持ちを強く持つための手法を、生活レベルに落とし込んだのが、中村天風先生だった。以前も紹介したことがあったが、もう一度書いてみよう。天風先生はインドで修行をし、ヨーガからクンバハカという技法を編み出した。肩を落とし、ケツの穴をギュッと締め、下丹田のあたりに力を入れる(気を集中させる)。この3つを同時に瞬時に行うと、身体が最も強く安定した状態となり、気が体内に充足し、心持が強くなる。つまり、弱さに屈しそうなときに、越えていく力となるのである。
私はこれにずいぶん助けられた。ひどい頭痛のなか仕事をするときも、クンバハカを実践すると、みるみる生気が満ちていった。画面に映った自分の顔が、蒼白であるどころか、あまりにも元気溌溂としていて驚いたことを、今でも覚えている。
***
「強くあれ!幸福な生涯をおくれ!」これはなんと、心の底から勇気の湧いてくる言葉だろう。しかし、第一に神を愛することだと天使は言った。幸福にエゴイズムを抱き合わせないこと、幸福を貶めないことを言ったのだ。幸福を人間に授けるのは神である。ゆえに、神を愛することがなくなれば、幸福は幸福を維持することができなくなる。
旧約では、神というと人間から自由を奪う怒りの存在を思い描くが、神は断じて人間の不幸を願うわけではなかった。自分よりも大きな世界を愛しながらも、幸福な生涯をおくれることを願ってくれていた。
戦後を生きる日本人に馴染みある言い方にすれば、神を国と言い換えてもいいい。戦争に駆り出された若者は、ただただ自由を奪われ、不幸に死んでいった存在であったように今日教えられる。だがかつて、国はこの天使とまったく同じことを国民に言っていたのではなかろうか。「強くあれ!幸福な生涯をおくれ!しかし、第一に国を愛せよ!」と。国のために命を投げ出すことを軍国主義だと揶揄されるが、これを聞くと私はちっとも変なことを言っているようには感じないのだ。
***
「普通ならばお前の自由な意志が許さないことをしでかすことのないよう、注意することだ。お前とお前のすべての子孫が幸福になるか、不幸になるかは、お前自身にかかっている。」
戦中からみれば、われわれは当時の子孫である。幸福か不幸かは、個人の努力に拠るところもあるが、時代に宿命づけられたものもある。現世を生きる人間は、いつも子孫の幸福の命運を握らされてきた。「強くあれ、幸福な生涯をおくれ!しかし何よりもまず第一に神を愛せよ。」と、天より言葉を授かりつづけてきた。今度は、われわれの番である。まずは自分から。自分の心持ちを強くすることだ。それが、家族のため、国のため、子孫のためと、大きく遠くまで伸びていく。私のような堕ちた人間でも、そうあれることを力の下に願うのだ。
2024.4.4
コメントを残す