ガンジス河の神秘を拝む旅【インド紀行⑭】[629/1000]

初めて見たガンジス河は、あまりにも美しかった。待望の日の出には間に合わず、陽は既に少し高くなってはいたが、波は金色に揺れていて、泥褐色の混沌は、より一層、人間の罪を洗い流す聖性を宿しているように見えた。雑踏にもまれて、朝の静謐な空気が台無しになることもなく、ガンジス河が「日常」に素顔を隠してしまう前のぎりぎりの瞬間にすべり込めたようだった。

 

初めて目にしたヒンドゥー教徒の沐浴は、5,6人のおじさん達であった。少し離れたところに、美しい衣装をまとった子連れの母が沐浴していた。インドに来る前からずっと、赤いサリーを着た老婆の沐浴姿を期待していたが、これは叶わなかった。少し離れた階段の、きれいなところに腰を下ろし、敬虔な心持で彼らの沐浴をしばらく眺めた。沐浴の形式については、詳しくは分からなかったが、水を両手で胸の前にうやうやしくすくい上げると、それを上半身にかけながしていたおじさんの姿が、とても神秘的だった。

 

幸せな気持ちで朝の沐浴を十分に眺めてからは、川に沿って、南に南に歩きつづけた。行けるところまで行こうと思った。ガンジス河沿いには、店があり、死体焼場がある。聖なる土地であるため、インド中から人が訪れ、ごった返しになっているが、雑踏を通り抜けると、ヤギしかいない牧草地のような場所に出た。ガンジス河と一口に言っても、ヒマラヤ山脈からベンガル湾まで2500キロもある。少し歩けば、一気に静まり返り、牧歌的な景色が広がった。私はどこまでもどこまでも、歩きつづけた。歩きながら、ガンジス河に沿って、どこまでも歩いていく旅を想像しては、その果てしない冒険の一部分を、今この瞬間ものにしている事実に大変感動した。

 

2時間ほど川を南に下ると、工事で道が途切れ、行き止まりとなった。ガンジス河を沿う旅はここで終わった。来た道を引き返していると、美しい黄色の布でくるまれた人型のものが、タンカにのせられて目の前を横切っていった。これから葬儀がはじまるのだった。タンカを運ぶ4人の男たちを目で追うと、河のそばで静かに下ろした。私は少し離れたところで、葬儀の様子を見ることにした。しかし、一向に遺体を焼く気配はなく、ついに遺体はボートの舳先にくくりつけられると、中央に向けて出航し、ちょうど、ガンジス河の真ん中あたりで、静かに河に沈められた。

貧しくて薪が買えない人々や小さな子供を弔うときは、焼却しないまま、そのまま川に流すという話を思い出した。布にくるまれた人の大きさからしても、あれは子供だったのかもしれない。

 

ガンジス河で見た光景はどれも美しく、敬虔なものであったが、私は自分の心持ちが、彼らを直視するに相応しいものであったか分からない。打算的に感動してやろうなんて思っていなかったか。感動はもっと誠実な心持から生まれるものではなかっただろうか。そんなことを感じながら宿に帰った。私はガンジス河を思い出しては、己の罪を洗い流したくなった。

 

2024.3.10

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