バラナシに到着して3日目の今日、ようやく熱が下がった。宿の親父に2泊分の精算をし、安静をとるために一泊延長することにした。2泊の金額は557ルピー(947円)である。デリーに比べると、半額で泊まれてしまうのは有難い。560ルピー払うと、案の定、3ルピーのおつりは返ってこない。インドでは小額紙幣が不足しており、相手に悪意がなくとも、つりが返ってこないことがある。露天商を相手にするならまだしも、病気の世話になった宿の親父に、3ルピーを要求するなど馬鹿げた話であった。加えて、延泊分は250ルピー(450円)でいいと言ってくれたのだから、むしろ私は感謝しなければならなかった。
適当に決めた宿であったが、バラナシの中心部から10キロほど離れた田舎に位置しているため、療養には適しているように思われた。昨日も、眠っている間、ヤギの声がよくきこえた。実際、ドアを開けるとすぐそこに白色のヤギと黒色のヤギが歩いていた。地面はアスファルトで整備されてなく赤土のままだる。すぐそばには、3歳くらいの女の子が自分と同じ背丈の子ヤギを引いている微笑ましい光景や、悪ガキが牛に石を投げつけている光景も見られる。女性の服装は厳格で、観光客と学生服を着た少女以外は、全員サリーを身に着けている。もし牧歌的な世界がアジアに残されているとしたら、ここはその一つだろう。
しかし、ただ牧歌的というだけで終わらないのもインドであった。部屋で寝ていると、地面が跳ね上がるほどのインド音楽が爆音でかかりはじめ、掃除の男が入ってきた。もしくは、急にベッドのカーテンが開けられたかと思うと、スパイスの香りがよくきいた食べ物を売りに来る男も現れた。療養のために眠っていた私にとっては、どちらも憎らしいほど邪魔であったが、このときにはもう、何が起こってもおかしくないと思えており、すべてを自然に受け入れることができていた。
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果たして世界を旅することにどれほどの値打ちがあるだろう。行かないよりも行った方がいいという。知らないよりも知ったほうがいいという。だが、ほんとうにそうだろうか。両手でも数えきれないほどの国を旅する連中は、一つの土地で素朴に行き、素朴に死んでいく人たちが一生持て余すほどのものに、死ぬほど飢えつづけているのではないだろうか。
ここで素朴に暮らす人間は、きっと外に出たいと思わないだろう。彼らが貧しくてどこにも行けないのだと考えるのは、先進的な思い上がりだ。彼らはどこにも行く必要がないのだ。信仰と共に、毎日働いて、生きている彼らを見て、そんなことを考え始めている。
2024.3.7
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