僕たちが心に抱く不安や怖れなんて、大体は無力の土壌から噴き出したウジ虫みたいなものなのだ。[615/1000]

2024年2月25日 インド旅立ち、2日前

はじめて君に手紙を書くわけじゃないけど、こうして体裁を整えるだけでも少し気が引き締まるものだ。

僕は今日、ようやくインドへの旅支度を終えて、明日に迫った旅立ちに胸を躍らせている。というのは嘘で、すっかり怠けてしまったこの身体が、インドの人ごみに揉みくちゃにされて、はたして耐えられるのか正直分からなくて不安だ。森の隠遁生活を終えて、文明に舞い戻ったのが2ヵ月前。この間に、僕は身の隅々まですっかり堕落してしまった。どうか情けなく思わないでくれ。こればかりは人間の救いようのない性だろう。だからこそ、完全に魂が食われてしまう前に、強引にでもインドに旅立つことに決めたんだ。

堕落とは無力の土壌に根を張ることだろう?生活に根を張ることは、まっとうな暮らしに精神を叩くために必要不可欠なことだと思うけれど、僕たちはその中でも、力の土壌に根を張らなければいけない。力の土壌に根を張れば、基本的に怖いものなんて何もなくなる。僕たちが心に抱く不安や怖れなんて、大体のものは無力の土壌から噴き出したウジ虫みたいなものなのだから。無力の土壌に育つ木の実を、空虚と呼ぶのだろう。僕たちは力の土壌から、果実をもぎとらなくちゃいけない。この果実を一緒に味合わって感動するべきだ。

 

知っているかい。インドという国は「神秘と聖性の国」と言うらしい。もしくは「貧困と悲惨の国」とも言うらしい。極めつけには「人間の森」と言うらしい。なんて魂を揺さぶられる響きだろう。もし現代で、天に通ずる道があるとすれば、まちがないなくインドのへんぴな田舎町にその一つがあると思う。日の出とともにガンジス川で沐浴をして、日中はガンジス川で子供たちの服の洗濯して、日の入に一日を感謝しながら、再びガンジス川で沐浴する。そうしてガンジスとともに生き、死んだらガンジス川で燃やされて、遺骨はガンジス川に流される。そんな老婆の麗しきサリー姿が目に浮かぶよ。天国に思われる豊かな地がじつは地獄で、地獄に思われた貧しい地がじつは天国に近かったなんてことは、もう分かりきったことだろう。

明朝、僕はようやく無力の根を断ち切れる。そして力の土壌に赴くのだ。根が切れる瞬間には痛みを伴うけど、僕はこういう荒療法でしか人間を躾ける方法を知らない。無事、旅立てるといいけど。痛みに耐えかねて、土にうずくまってしまうなんてことになったら、君に見せる顔がないからね。

 

2024.2.25

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