幸せよりも大きなものを掴むのだ。それは孤独となった生命の一点が爆発する歓喜である。己を冷やす虚無になど負けてる場合ではない。そんなもの発熱と爆風で吹き飛ばしていくのだ。幸せも追い求めている場合じゃない。幸せは社会のつくった概念にすぎない。社会の概念で、生命の説明はできない。生命には幸せも不幸もなく、成功も失敗もない。魂を宿したひとつの生命は、ただこの宇宙で燃え尽きたいだけである。私はこの生命を握りしめ、どでかい宇宙のなかに、自らを放り投げたいのだ。何がそれを妨げるのかは、自分でももう分かっているだろう。
「武士道というは死ぬこととみつけたり。二つ二つの場にて早く死ぬ方に片付くばかりなり。図に当たらぬは犬死などというは上方風の打ち上がりたる武道なるべし。」
何度も葉隠の掟を破ってきた。今振り返ると死ぬのが怖かったのだ。その恐怖を自覚することもまた怖ろしく感情にフタをするが、この気づかぬフリをしてごまかしている状態がいちばん臆病風にふかれている情けない状態だ。葉隠はこの怖さのなかに飛び込むことを要求する。男を見せてみろと要求する。一度やったから終わりということはない。死ぬまで、死ぬことを要求される。死ぬときの後悔は死ねなかった後悔だけだ。幸せだろうと不幸だろうとどっちでもいい。ただ限界を超え生命の歓喜だけを追い求めよ。死して生まれ変わった勇敢な自分だけが正しい言葉を与えてくれる。心が臆病風に吹かれるときは、そんな未来の自分から言葉をもらうのだ。死ねなかった恥ずべき自己のすべての過去をここで懺悔する。齢30を前にして既に恥だらけの人生だ。ここに新たな誓いを立てたいがすぐに忘れ去れる言葉など意味がない。かつて毎日行っていたように、毎朝葉隠の言葉を唱えよ。まだまだ葉隠の魂が自分の血肉になっていないのだ。ひたすら読み込め。そして自分を何度も突き放し鍛錬するのだ。強くなれ。負けるな。ただ独り突き進め。
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