諏訪湖にて。苦しそうに走っている人を見て、本当に苦しそうだと思った。どこに向かって走っているのだろうと思った。これは私自身が、時折自分に感じていた「私はどこに向かって生きているのだろう」という不安に満ちた漠然とした問いと同じものだった。
行動の帰結は死である、と葉隠は言っている。走っている人を見て苦しそうだと感じたのは、むろん、息が切れていることに対してではなく、生きることそのものに対しての感想だった。長生きや健康を動機に走る行為は、今の時代では推奨されることであるが、この時我々は、生の衝動に振り切れ、潜在的に死から遠ざかることだけを考えている。行動の帰結は死ではなく、生である。
(もちろん人による。同じ走る行為をとっても、たとえば余命宣告を受けたあと、死ぬまでに美しくなりたいからと懸命に走り自分を磨こうとする姿は、その瞬間に死があって、生がある印象を受ける。)
息苦しさはここにある。「死ねないことが息苦しい」のだと思った。武士は瞬間瞬間を生きて、瞬間瞬間に死んでいた。一生懸命ではなく、一所懸命だった。
「私はどこに向かって生きているのか」という自身の問いに、武士道をもって答えるなら、「私はどこにも向かわない。今ここで死ぬだけである。」ということになるだろう。生きつづけることを前提としたとき、同時に苦しさも死にきれず、ただ自分を蝕んでいく。生きた屍のような「死に損ない」になり、武士道はこれを恥とした。
今ここの瞬間において、苦しさの中に死ぬことが許されるのであれば、この息(生)苦しさから解放される人は多いと思う。少なくとも私はそうだと感じた。今ここで死に、次を生き、また死に、生きている。そんな生き様は、潔いばかりか、先の時間に拘束されない自由がある。
精神修養 #27 (2h/64h)
今朝は心が散漫であることに加え、身体も反応的であり、後半はほとんど目を開けていた。目を開けていて瞑想と言えるのかと問いながら、目を開けながら目を開けている自分に気づいている、一種の俯瞰状態にあった。
自分に気づくことと肉体を制御することは、別物であると知った。肉体を制御する力は働かなかったが、気づく力は働いていた。肉体を制御する力とは、すなわち意志である気がする。意志は思考に直接関与しない。だから意志が弱ければ、別の思考に反応する形で目を開けてしまう。
「何があっても絶対に目を開けない」「何があっても動かない」そんな覚悟が必要。
[夕の瞑想にて]
眠くなることはほとんどなくなり、1時間を当たり前のように座っていられるようになった。しかし、呼吸に意識をあてつづけておくことは依然と困難で、しょっちゅう考えに意識をもっていかれる。
意識をシャープなナイフのように鋭く研ぎ澄ませることが目指す場所の1つであるのは、集中することで「切れる」感覚があると思うからだった。切りたくても切れないような感覚は「漠然」という言葉で表現される。この「漠然」を一刀両断するために、意識を研ぎ澄ましたいと思う。
行動の帰結は死である。この言葉の真意は、諏訪湖を走る人を見て少し分かった気がする。
一方では、死ぬか生きるかのときに、すぐ死ぬほうを選ぶべきだという決断をすすめながら、一方ではいつも十五年先を考えなくてはならない。十五年過ぎてやっとご用に立つのであって、十五年などは夢の間だということが書かれている。これも一見すると矛盾するようであるが、常朝の頭の中には、時というものへの蔑視があったのであろう。時は人間を変え、人間を変節させ、堕落させ、あるいは向上させる。しかし、この人生がいつも死に直面し、一瞬一瞬にしか真実がないとすれば、時の経過というものは、重んずるに足りないのである。重んずるに足りないからこそ、その夢のような十五年間を毎日毎日これが最後と思って生きていくうちには、何ものかが蓄積されて、一瞬一瞬、一日一日の過去の蓄積が、もののご用に立つときがくるのである。これが「葉隠」の説いている生の哲学の根本理論である。
葉隠入門, 三島由紀夫(新潮文庫)
現代に通ずる可能性があるのは、「十五年先を考えなくてはならない」にあるように思う。生き延びることが前提となった現代では、死を前提とした武士と違って、瞬間瞬間で死を選んで生きることはあまりにも刹那的すぎる。だが一方で、瞬間の行動で死に向かえなければ、死に損なったまま、15年の月日は夢のように過ぎていく。
時の感覚は本当に奇妙で、過ぎてしまえば夢になる。今日という日も、明日には絶対にやり直しのきかない夢になる。死に損なった昨日に帰って死ぬことはできないが、今ここの行動から死に向かうことはできる。この感覚を忘れないために「朝ごとに死におくべし」という部分に立ち返っていくのだと思う。
まだまだ探求はつづく。
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