女は三合、男は五合の米を一日に食った。[993/1000]

ヤハウェと蛇の遭遇の後に起こるアダムとエバノ追放は、人間の堕落にほかならず、『新約聖書』のキリストの受難は人間の救済にほかならない。

(中略)

完全な陰の状態を新たな陽の活動へ移行させる衝動もしくは動機は、悪魔の神の世界への侵入によって生じる。

トインビー「歴史の研究」

 

甘いものを食わぬようになって、朝に二合、夕に二合、合わせて四合の米を食うようになった。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に、”一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ”の一句がある。初めてこの一句に触れたときは、実際に四合も食うわけではなく、沢山の米を食うことの願望を込めた意味だろうと勝手な解釈をしたものだが、まさかほんとうに四合の米を食っていたとは。戦前、女は三合、男は五合を一日に食ったという。今のように、小麦や甘いもので間食することがなければ、日本人の胃袋はそのくらい大きく丈夫になる。

 

トインビーの歴史の研究を読み進めている。野蛮な未開状態から文明がはじまったのは、神話に例えると、完全な神の世界に悪魔が挑戦を加えたようなものだとトインビーは言う。もしこれを日本の食文化に当てて考えてみるならば、「完全な状態」、つまり日本人にとって霊性食たる米を中心とした食文化に対し、西欧の小麦や油、洋菓子などが挑戦を挑んだと言えないか。チョコレートやパン、脱脂粉乳を口にして、人間は堕落した。アダムとエバさながら「日本」を追放され、衣装も住居も慣習もまるで違う、異国の地で生き永らえているのではないか。

 

天に向かおうとする霊性に対し、地上に堕落させる存在を悪魔というなら、甘いものは後者の部類である。地上は悪魔に覆いつくされ、悪魔に魂を食われた人間は、欲望のために自分のことしか考えられなくなる。生まれつき腸内細菌が強く霊性ある人間は、多少悪魔を食らってもへっちゃらにするが、そうでない大半の者は、いくら天に焦がれようと悲しくも地上に堕とされつづけることになる。

 

われわれにとっての救済は、瓊瓊杵尊がもたらした米にある。悪魔に誘惑されようとも米を食えば、その力をもって跳ね返せる。米を食わなくなったとき、われわれの魂は死滅するが、慣習を改め、米をたくさん食えるような食に改めるだけで魂はどんどん賦活する。日本人の救済を、今日の食い物のうちに見つけるのである。

 

2025.3.10