中村天風先生の書物をひらくと「積極一貫」の筆書きに出会う。「積極一貫」は、いかなるときも積極的であれという絶対積極の精神を言う。これまた見事な四字熟語で言い表したものだと、私はとても有難い心持になる。一貫は、初めから終わりで貫くことを意味するが、私の感ずる「積極一貫」は、現世を貫く崇高な宇宙意志であり、光としての人間の在り方である。あるべき態度としての教訓という印象よりも、人間の崇高な姿そのものを文字のなかに植えられているようで、とてつもないエネルギーを感ずるのである。
万物の霊長たる人間には、天より与えられた力がある。心を積極的に保つならば人生は快活なものになると天風先生は断言する。昨今の、健康に関する話題を鑑みても、腑に落ちることは多い。巷では、「あれは体にいい」「これは体に悪い」と言い、悪いという意見に対しては、「90歳まで生きているうちの婆ちゃんは、その悪いものを毎日食べていた」と言うような論理展開がなされることも多いが、私の知る元気なご老人たちは、一人の例外もなく、積極一貫なのである。
「自律神経の生活機能」と天風先生は言うが、心が絶対積極の状態にあれば、自律神経が回復し、生活機能を司る全身の細胞の働きは正常となる。平静な心で真っすぐ線を描くのと、悲しみに満ちた心で真っすぐ線を描くのとでは、その出来栄えは随分と変わるように、心の状態が生活や運動に与える影響は誰もが知ることである。
102歳まで生きた、極少食で知られるルイジ・コルナロ氏もまた、老衰で静かに永眠するその日まで快活に生きていたという。私も自伝を読み、極少食の価値を思い知ったが、今思えば著書から漲るルイジ・コルナロ氏の積極的な心持ちのほうに、深く感化されていたと自覚する。
健康だから積極的な心を持つのか、はたまた、積極的な心を持つから健康なのか、鶏が先か卵が先かの議論にも思えるが、私自身の体験からしても、後者が真実だと信じるのである。消極的なムードが世を覆うほど病は蔓延する。自ら命を絶つ人間も増える。だが、積極的でただしい心の持ちようで常に過ごすならば、身体の機能は改善され、心身の病は克服できる。何を食おうと食うまいと、そうした綺麗な心でありつづけることのほうが、ずっと真実である。
2025.2.27