車検を受ける金がない。ならばいっそ車を手放してしまおうとも考えたが、春になれば畑で働くための足がいる。そうでなくとも水を汲むためには車が必要である。働けそうな仕事を探して、山荘という所へ面接に行ったが、山荘というわりには、あまりにも洋館じみた場所だった。いかにもホテルマンといった小綺麗なスーツを着た支配人が登場したときは、これはやってしまったと思った。長髪に髭面、ちょうど山仕事を終えたばかりで、木屑だらけの作業着をまとった風体の男には、あまりにも場違いであった。
結果は不採用である。労働条件云々よりも、得たいの知れぬ存在として拒絶された感覚がある。アルバイトで不採用になることなど過去にあっただろうか。自分で言うのもあれだが、好青年だった頃合いの私は、どこに行ってもよくよく歓迎された。分かっていたが、随分と落ちぶれたものだ。それでも現実の人間を目の前にして、こちら側とむこう側という風に、住む世界に大きな隔たりが横たわっているようで、とても悲しくなるのである。

森に帰ってきて一心不乱に斧を振った。悲しみを叩き割るように。心沈んでいる者のためにも、薪は真っ二つに割れるべきである。伐ったばかりの生木は簡単に割れてくれるが、腐りかけている倒木は、何度振っても割れてはくれぬ。そうなると、こちらも益々むきになり、5回も10回も力いっぱい斧を振り下ろす。ようやく割れたときに訪れる小さな達成感に、気持ちは少しずつ和らいでいく。
感情の乱れとは、エネルギーが制御できていない状態をいう。自分で制御できぬから、物に当たり人に当たり、エネルギーを体外に放出し、統制しようと試みるのだ。その点、薪割りのような単純労働は勝手がいい。悲しみはすべて吐き出して、綺麗に陳列された薪棚を見ると、何の役にも立たない負の感情を実益に変換できたようで、得した気分になる。
気を取り直して、仕事を探さねばならぬ。こんなところで、挫けてなるものか。崇高なものを欲するのなら尚更のこと、金に負けていてはならぬ。
2025.2.21