ドアに鹿の角を飾った。人間にとって価値ある存在であることは間違いない。[973/1000]

ドアに鹿の角を飾った。あまり詳しくないが、風水によると玄関に死を想起させるものを飾ることは歓迎されないらしい。鹿の角は死を想起することからあまり望ましくないことになる。一方、古くから日本では鹿は神様の使いと考えられてきた。運や力を象徴し、真田幸村をはじめ兜に鹿の角を飾った武将は多い。いずれにせよ、死が理由で忌避されるというなら、私には飾らない理由となりえない。元々、死の失われた家に絶望して、家なし生活を強いられることになったのだ。その果てにたどり着いたのがこの森である。明るい家より暗い家、広い家より狭い家、オール電化の家より火のある家、生かされる家より死ねる家に、魂は焦がれ続けてきたのだ。

 

たしかに鹿の角を眺めていると、生命の美しさや神秘的な力強さを感じる。生と死を繋ぐ架橋を、家の一隅につくりだしている。人間は自分たちが持ちえない動物の強さや美しさに、密かな憧れを抱くのだろう。小鳥の翼や猛禽の爪、俊足の足や黒く柔らかな毛並み。牛の力強さや立派な角など、子供のころのわれわれは、動物の特殊性を模してよく遊ぶものだ。

果たしてこの角の持ち主はを想像する。雌をめぐり角をぶつけて戦っただろうか。今もまだ生きて山を駆け回るか、それともこの世にはもうおらぬのか。なんの変哲もない平凡な想像であるが、火を眺めているときと同じように、死や永遠、山や空の向こう側を想起させるものは、人間にとって価値ある存在であることは間違いないのである。

2025.2.18