家ができても野良犬であったことは決して忘れるまい。[967/1000]

家が温かい。夜を温かく過ごすことができる。大袈裟に聞こえるだろうが、私はこの日というこの日を、何年も願い続けてきたのだ。

 

二十代の始め、教師失格となってからは、野良犬のような生活をした。原付にテントを積んで、道の駅でこそこそと寝泊まりしては、早朝、皿洗いの仕事に出かける生活を一年つづけた。人目を忍んで公園で車中泊もした。夜中に窓をノックされ、警官に職質されたことも一度や二度ではなかった。人を驚かせたこともあった。人が絶対に来ないと思って寝ていた深夜、中年の女性がやってきて、私も驚いたが、彼女はもっと驚いて「ひぇっ」と一瞬声を出すと、息を呑んだ様子で走り逃げ去っていった。

 

善良な好青年だったはずなのに、不本意にも気味の悪い不審者となり果てた。家がないというだけで人間の心は自ずと荒んでいく。何も悪いことはしていないはずなのに(いや、もしかしたら法律で判断すれば怪しいところはあったかもしれないが)、私は悪いことをしているのだという罪の意識に、常に襲われるようになる。罪を犯した犯罪者や、思い悩んで命を絶った悲しき人間のニュースを見ると、私もそちら側にいくのは時間の問題だろうという気になってくる。

 

善人を嘲るようになったのはそれからだろう。家がある、ふつうの暮らしをしているというだけで何が立派なものか。もちろん、立派な人間もいる。だが大半は、何の美学もなしに安楽な生活に甘んじているだけではないか。適度に働き、適度に美味しいものを食べ、休みの日は異性とデートをし、あるいはレジャーに赴き、安心と安全、平和の幻想に何の疑念も抱くことなく、皆と同じような暮らしぶりに、のうのうと浸っているだけではないか。

まるで生命が死んでいる。魂も腐っている。家を借りるだけの金があっても、是が非でも家を持たなかったのは、せめてもの悪あがきであった。家のない暮らしぶりは社会の底辺である。堕落した暮らしぶりに心は荒さんでいく。それでも、生命を死なせるよりはずっと人間的だと信じていたのだ。

 

ついに家はできた。厳密にはまだ完成していないが、夜を温かく過ごすことができる。これで野良犬も卒業だ。だが家ができても、野良犬であったことは決して忘れるまい。落ちぶれたことで、かえって生命は発露した。今度は、越えていくことで、生命を救い出そう。そう心に誓うのだ。

 

2025.2.12