天涯孤独に森で暮らす人間[605/1000]

勘定に乏しく

暮らしに根も張らぬまま

浮生に流れゆく雲のごとく

あちこち気ままに旅をして

春風の香に胸焦がし

木枯らしには身を隠す

森厳の妙薬を服し

天涯孤独に詩を謳う

 

80億も人間がいる世の中だ。そんな人間がいても、不思議ではなかろう。

浮世に馴染むことのできない人間は、いつの時代も当然いた。文筆の才のあるものは美しく自然を謳いあげ、聡明な頭脳の持ち主は無為の境地から人間を鋭く書きおろす。後世に名を残した彼らは浮世離れしながらも、かろうじて浮世に接点を持った人間ともいえる。

 

だが、浮世に馴染めない人間が、必ずしも天賦の才にめぐまれたわけではない。記録の才を持たない人間は、現世に何の痕跡も残せないまま、風に吹かれる砂塵のごとく、人知れない山のなかであの世へと還っていく。閑静な山で、泡沫の空しさを抱えながら。

 

私自身なんだかんだ、生活に根を下ろせぬまま、齢30を迎えてしまった。いまだ、浮世に帰る場所を持たない困った人間である。だが、世俗を捨て、山で隠者となった鴨長明や、放浪に放浪を重ねた挙句、山に引きこもった李白のような人物を想うと、こうしたフーテンも少しは赦される気がする。

 

生活を築かぬことは決して褒められたことではない。できるなら、家族と国のために働きたい。保守的な考えであるが、それが立派なことである。だが、どうしても現世に馴染めない人間は、現代にもいるのである。もしそうした人間がいるのなら、森に逃げてもいいのだ。自己擁護のために物を言うのではない。歴史を顧みて、かつての隠者の生き方が美しいと思うから、こう言葉にするのだ。

私自身、身をもって体験した。森の閑静な暮らしは、とても哀しいが、きっと元気になる。

 

余に問う 何の意か 碧山に棲むと

笑って答えず 心 自ら閑なり

桃花 流水 窅然として去る

別に天地の人間に非ざる有り

 

李白詩選, 松浦友久編訳

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