ついこないだ、満開の桜に春の訪れを歓べば、もうヒグラシが鳴き始めた。ヒグラシの鳴き声を聞いていると、いよいよ夏の物語がはじまっていくのだなぁと少年の心が刺激される。気づく頃には、葉は紅く染まり、火照った人々の顔に涼しげな風が吹きつけるようになるだろう。そして、あの透き通った美しい星空が煌き、孤独な冬がやってくる。昨年の冬は、暖房がなくてほんとうに寒い思いをしたものだから、今年はなんとか、冬までには森の家を完成させて、焚火とストーヴで暖をとりながら温かく過ごしたいと思うのである。
森の家づくり二日目は、森の整備をおこなった。発芽した小さな2メートルほどのスギをノコギリで伐っていく。目指す森は、色んな微生物が根付き、色んな動物が棲みつく雑木林である。色んな生き物を養う森こそ、慈悲深い神のつくった本来の世界だと思うのだ。私一人の人間の力など微々たるもので、宇宙全体から見ればその影響範囲も無きに等しいものだけれども、そもそも一個体で宇宙を変えようなんてのは、傲慢な考えなんだろう。今いる場所で、わずかでも宇宙の御心に沿うことができたら、それでいいじゃないかとも思う。
発芽した2メートルのスギを刈り取ると、だいぶ見通しがよくなり、森に風が吹き抜けるようだった。また、草の生えていない大地がむき出しとなると、じきにここにも光が当たり、新たな命が誕生するものと胸が膨らむ。木を伐ることは必ずしも気持ちの良いことではないが、古来から木を伐採し、家を建て、炭をつくってきた人類の歴史を思うと、これは宇宙が人間に与えた自然智なんだろうと思う。
いよいよ今日は、20メートル級の木を伐っていくつもりだ。正直、かなり緊張し、また心も痛むことから、できることなら先延ばしにしたいことである。しかし、家を建ててしまった後に木を伐ることになれば、まちがって家の方に倒れ、せっかく建てた家も崩壊しかねないので、家を建てる前にやらなければならないのである。
家をつくることが創造であるなら、伐採は破壊の段階である。生きる木を伐り倒すのは、大変心苦しいが、気を強く持たなければ、この必要悪を乗り越えることはできない。ここは曹操や西郷隆盛を見倣って、遠くを見据えて悪をなさねばならない。自然への畏敬を決して忘れることなく、今日も作業に取り掛かっていくのである。
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