天よ 雷霆を地に叩け
幸福に棲みつく暗い影を
情熱の底で嘲笑う無気力を
道徳の格を蝕む淫蕩を
悉く焼き尽くしてしまえ
海よ 嵐を連れて猛り狂え
苦悩に酔い痴れた放埓に
悪意に閉ざされた月光に
不幸に暴かれた運命に
断じて溺れるな
風よ 悲哀の季節を吹き破れ
燻る失意の向こう側へ
同情に託された克己へ
誇りに叩かれる精神へ
我らを鼓舞したまえ
***
どうも頭で詩をつくってしまうのは、己の海の深さが浅いゆえ、頭に頼らざるをえないからだろう。先日の、白紙になった詩作が悔しくて、何度も詩作を試みるが、言葉と言葉が流れていくというよりは、言葉と言葉が独立した石のように、ゴツゴツした粗が目立っている。海浜で両手ですくいあげた砂が、手からさらさらと流れ落ちるように、心に自然に流れ入り、感覚の交流を行うには、まだまだ己の人間が足らない。
日本の詩、とくに軍詩を朗読していると、日本という国がいかに言霊主義であったかがよく分かる。弱弱しい言葉は使わない。勇ましく、勢うための言葉だけが使われる。
私自身、厭世的になっていた時期が長いので、海に沈んでいる言葉は、苦悩や悪意を含んでいるものが多い。かつての日本の詩に触れると、欧米と戦ったあの軍人たちの鉄の心、鉄の心に流れる、人間の血の温かさを感じる。それを、彼らの海に見つけられた気がする。
いい詩に触れることは、己の海に、いい言葉を沈めることだ。これが、先祖の誇りを受け継ぐ生き方の礎である。
2023.12.9
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