遠い山の果て 忘れられし
苦渋の荒野に 月光浴びる
変わらぬ無邪気さ 逞しさ
我が涙は 地を濡らす
待たせた友よ 戦友よ
悔やみきれぬ恥ずべき過去は
涙の谷に 置いてきた
旅路で交わした 貧しき杯も
青春と戯れた笑いも 血肉として生く
祝おう 青春を 人生を
***
貞操を守れぬくらいならと、複数の男に囲まれた娘が、名誉を守るために井戸に身を投げて命を絶った時代もある。
今日、死と生は対極に位置するが、もしもっと死が日常のなかに溶け込んでいたら、私も命を絶っていただろうか、と思う瞬間が私にもある。男は義を貫くことに誇りをかけた。誇りが打ち砕かれ、しくじったおぞましい瞬間を今でも鮮明に思い出す。武士であったなら、あの場で切腹しただろうかと今でこそ直感する。あのとき死んでいたら、たしかに筋は通ったと思うのである。
誇りを失った男は、背骨が抜き取られたように弱くなる。放浪した私は、神のいかずちに破滅することを望んだが、本当は自分自身でけじめをつけなければならなかった。武士道とは、死までもが独立自尊であり、それゆえに強く、男らしい。
時代が時代であったなら、私の人生は五年前に終わっている。幸か不幸か、今はまだ生きている。「俺はあのとき死んだのだ」と思うと、幾分か救われる気にもなるものだ。つまり、やり直せる時代だということである。
しくじったら、やりなおせばいいのである。
2023.11.26
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