自然の暴力[507/1000]

人類は「文明」の力で自然を克服した。

 

だが、隠遁の森においては、自然の暴力を前にして、我が精神はどこにも逃げられん。服従あるのみか。それとも、ヴォルテールが地震に反抗したように、自然の残忍な仕打ちに人間の意地を示すべきか。

森はおそろしいうなり声をあげる。葉は枯れ落ち、木々は色を失い、森は冷気を孕み、凄惨な形相でせまってくる。あの凍てつく風が怖ろしい。あの豪雨が、あの吹雪がおそろしい。俺は果たしていきのびられるのか?森にひとり、このボロ小屋で、冬を越せるか?

 

手足の感覚はなくなり、飢えが精神を蝕む。温かい部屋と快適な暮らしは、自然に対する人類の名誉ある勝利だったのか?人間の文明の進歩をもっと崇めるべきだったろうか?

自然に癒しを求めるとは、なんとも文明人らしい嗜みだ。文明の力を失えば、自然はその暴力をあらわにする。わたしは四大と戦っているのだ。

 

精神は蝕まれ、このままでは自然の暴力にやられてしまいそうだ。文明の力を失うことがこんなにも心細いとは。だが、文明の力のなかでも、もっとも原始的な力である「火」だけは使える。これがどんなに私の心を慰めてくれるだろう。今はこれに救いをもとめるのだ。原始的で、人類の根源たる、素朴な力。

 

トーマス・マンの「魔の山」を読み続ける日がつづく。こうした自然観なるものも、次第に叩き上げられていくだろう。今は、文明を手放し、原点に立ち返り哲学をすすめよう。

 

【書物の海 #37】魔の山, トーマス・マン

「そのとき、ヴォルテールはそれに反抗したのです」

「とおっしゃいますと・・・・・・どういうことでしょうか。その反抗というのは」

「さよう、反抗です。ヴォルテールは、そういう残忍な運命と事実を甘受すること、それに屈服することを拒否したのです。この繁華な都市の四分の三と、幾千という人命を破壊した自然の忌むべき暴虐に対して、彼は精神と理性の名において抗議したのです。

(中略)

これこそ自然に対する精神の敵意、誇らしき不信任、自然とその悪しき非理性的暴力に対しての批評精神の高邁なる主張でなくてなでありましょうか。」

 

2023.11.9

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