最後の窓の取り付けが終わり、ついに森の家が完成した。といっても、まだ最低限の生存機能を満たしたという意味での完成にすぎず、生活していくにはまだ手を加える必要がある。もらってきたペール缶を改造して、料理用のロケットコンロをつくる。あとは、森の中にテーブルとイスもほしい。しかし、パッと思いつくのはこのくらいで、そもそもこの森に家をつくろうと思ったのも、膨張しすぎた生活機能に息苦しさを感じていたからであり、そこまで大きくするつもりはない。生活機能が膨張しすぎれば、生命としてサヴァイヴしている感覚が失われていく。かつて生命が生活に埋もれていく感覚に耐えられず、家を捨てて生きることにした。常に生命がむき出しとなれば、いっさいのごまかしがきかない。それは、決して優しいものではないが、だからこそつくる価値があると思い立ったのだ。
静謐な空気を感じた昨日とは違い、今日の森の家は、とてつもない寂しさを感じる。日が暮れるのも随分と早くなった。夜の森は、真暗でいっさいの人気がない。近頃は、獣の声も響くようになった。家の中を照らすのはロウソク一本である。冬になれば、薪ストーブの窓に炎をみつけて、もう少し安らぐことができるだろう。物は多くない。ある物は、本だけである。それも娯楽の類のものはなく、純文学ばかりである。そんな研ぎ澄まされた空間を夢にみて、ずっと待ち望んできたものが、ついに今ここで現実となったわけだが、最初に訪れた感情は寂しさである。平常、蓋をしていた感情、ごまかした感情が、浮彫となりはじめたのである。この寂しさをごまかすために、娯楽に耽り、あるいは何かを食べ、精神的な安らぎを得て、根源的な問題から目を背けてきた。
安心して死ねる。昨日も書いたこの言葉を意味を補足すれば、ここでなら、この寂しさをごまかさずにいられるということである。寂しさを寂しさのまま、ただ殺されるように、身を委ねることができるということである。なぜなら、ここには静寂な森と、降り注ぐ月光と、野生の獣が鳴く声だけがあり、人間の手で築かれた安心できるもの、悪く言えばごまかしのきくものが何もないからである。残された選択肢は2つで、寂しさに耐えきれずに森から逃げるか、寂しさに身を委ねて死んでいくかである。
そんな家だからつくったのだ。居心地がよくて便利で快適な家には肉体的な価値はあるが、精神の根源を揺さぶるような根源的な価値がないと思ったのだ。今日から試される。この家で寝る初めての夜だ。感情をごまかすことなく、そのまま死んでゆけ。
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