虚無に押しつぶされそうになっている。私の言葉など読むに値しない。私は言葉を書くにも値しない。弱るとこうした観念が一層強くなって、白紙の前に無気力に放心することしかできなくなる。それでも、毎日、書くことを規律として自分に課している以上は、惨めな言葉しか残せずとも、ここにある虚しさを言葉に置き換えていくしかない。
まず最初に、この類の問題は、全部、自分が蒔いた種を、自分で収穫しているだけであって、すべては自業自得で、自分の姿勢の問題なのだと自覚している。天風先生の言葉を借りるなら、絶対積極の精神を守れていないのだから、心は弱気になるのだし、欲望に目がくらんで心に隙をつくったから、そこから悪魔が入り込んで、強大になった悪魔に対処できなくなっているだけにすぎない。
悪魔を食い尽くすつもりが、かえって悪魔に食い尽くされちまった、つまり悪魔との戦いに負けたってことだ、ちくしょう。
悪魔に魂を奪われた先にあるのは、破滅と虚無だけである。無気力はこのうちの虚無にあたる。なぜ虚無になるかって?人間は永遠の問題を考えなくなったとき、生を現世のものとしてしか捉えられなくなって、刹那的な欲望を消費する対象として考えるようになるからだ。人間は永遠と繋がる魂をもつゆえに、万物の霊長といわれている。永遠の問題を考えず、刹那に生きるのなら動物と変わらない。
悪魔との戦いに敗れる度に、魂を少しずつ吸われていく。人間として生きる者は全員ファウストであって、メフィストフェレスは甘い言葉を囁く。
楽をしたい気持ちは誰しもある。今この瞬間、すべての苦しみから解放されて、幸せになれたらどれほどいいだろう(と言うのは悪魔だろうか?)。
何度考えてもやはり、悪魔を自覚したその瞬間から、剣を取って立ち上がり戦うしか、人間の道はない。そう思う時、人間として生きることがとても辛く思えて、絶望に似た感情を抱いてしまう。だが一方で、こうした絶望は、無気力のときだから生じるもので、剣を取って立ち上がれば、必ず希望も生まれることを知っている。悪魔に支配される時ほど、悪魔に有利な言葉ばかりが脳裏によぎるものだ。人間の言葉は、魂の言葉である。宇宙の絶対積極の言葉である。だから、もっと勇敢で、愛に満ちていて、誇らしいはずなのだ。
さて、手始めに悪魔の心臓に一突き浴びてやれ。肩を下げ、ケツの穴を締め、下丹田に力を集中させれば、雑巾を絞って水が追い出されていくように、根性のない悪魔から追い出されていくはずだ。勝利を手にするのは、人間だ!
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