悲しい記憶も、苦しい記憶も、ぜんぶが宝物になる。[940/1000]

近所のお爺さんとお婆さんが肉まんを持ってきてくだすった。ずいぶん寒くなったねと、お婆さんは昔の話をしてくれた。小学校からの帰り道、手がつめたくて、つめたくて、泣きながら帰ったのだとか。お母さんが桶にお湯を用意して待っていてくれて、家に帰ったらお湯に手を浸して温めたのだという。何気なく発せられた思い出話であったが、お婆さんの温かい人柄がにじみ出るようだった。今年は家のなかにいても霜焼けになってしまったという。礼としてはほんの一部でしかないが、温かい靴下を見つけたので、明日届けにいこうと思う。

お婆さんの心は美しい記憶で一杯なんだろう。美しい記憶に包まれて、今を生きているように見える。楽しい記憶ばかりでなく、悲しい記憶も、苦しい記憶も、ぜんぶが宝物になっているのだろう。これは人間にとって、とても大事なことだと思わないか。人間としてただしい心を持ち、ただしい言葉を使い、ただしい生活をおくること。こうした基本的なことを信ずるのは愚かだろうか。たしかに、古い道徳を破る力には価値がある。だが、道徳を嘲るだけの放蕩者は相手にする必要もないだろう。

一日、また一日と、美しい記憶のなかへ帰っていく。自覚がなくともよい。おれたちはただ、日々を懸命に燃やしていこう。悲しい記憶も、苦しい記憶も、ぜんぶが宝物になる。

 

2025.1.16