青森で会った、一から自分で家を建てた先達から、木造は金具を使うよりも、継ぎ手を組んだほうがずっと丈夫になると聞いた。このたび家をつくるにあたっても、教訓を心に留め、土台には「相欠き継ぎ」や「大入り引き」に挑戦した。実際、木材の寸法どおり、ピシッとはまると微塵も動く気配がなくかなり強い。昔の家は釘も金具も使わずとも、木と木を上手に組み合わせ、地震にも耐えていた。ほんとうのところ、金具とは、木材にとってのギブスのようなものかもしれない。がっしり固定されるが、木のしなりを生かすことができず、かえって揺れによって生じる歪みをすべて受け止めなければならない。それでも倒れないよう、やりくりされているのが現代工法かもしれないが、伝統的なものと比べると、どこか投げやりな印象も受ける。
自然を知り、ともに死へ運ばれる舟のような家に憧れる。ただでかくて綺麗なだけのもの、性能だけを謳った商品には何の魅力もない。おれたちは人間である。ゆえに、肉体を休めながら、同時に魂を目覚めさせるもの。家とはそんな一つの芸術であるべきではないか。家だけではない。労働から生活に至るまで、言動と一挙手一投足は、魂を志向して然るべきではないのか。無力に堕落し、安逸に溺れ、魂を易々と踏みにじる行いをしたならば、死ぬほど恥じて、悔やむべきではないのか。
つめたい雨が降りしきる。寝ても覚めても家づくりのことが頭から離れない。ここらで一息して、明日からまた再開する。
2024.11.21