冬が迫る。猟期も迫る。それなのに、いまだ基礎工事に勤しんでいる。せっせと穴を掘り、砕石を運んで埋めていく。地道な肉体労働であるが、小屋づくりは少しずつ進んでいる。先は遠いが、今日やれることを必死にやっていれば、あとは時が勝手に運んでくれる。その点、努力は何も必要ない。変に緊張せずとも、自然体のまま運ばれてゆくだけだ。
およそ半月後の11月15日、猟師はいっせいに山に入る。今年、狩猟免許を獲った私も、願わくば山に入るつもりだったが、小屋づくりは12月までかかってしまいそうだ。前もって猟友会に参加して師匠を見つけるつもりだったが、そんな余裕はありそうにない。罠を自作し、金属の匂いを消すために、あらかじめ山に埋めておこうと思っていたが、そんな準備もできるかどうか。だが何としても、新しい小屋に友を迎えて、牡丹鍋を囲いたい。今年逃したら、次は一年後だ。そう思うと、暗中模索ながらも、何としても猟にも出かけなければなるまいという気になってくる。
結局、全部やる。気概で立ち向かっていくだけなのだ。その点は欲張りでよい。どちらかをやる代わりに、どちらかを捨てるのではなく、全部を抱えたまま進んでゆく。例えそれが困難に思われても、運命的に正しいものであると信じるなら、抱えた結果、死ぬことになってもいいと思えるだろう。無論、私の問題など書き連ねるのも恥ずかしいほど小さい。悔しいが、今の自分の器量などこの程度である。それを認識しながら、やはりぶつかっていくだけだ。
2024.10.24