我々人間は誰一人欠かさず、生まれた時からずっと呼吸をしている。綺麗な景色を見た時、感動してきた。苦しいときは、泣いてきた。嬉しいときは笑ってきた。ずっとずっと続けていることがある。それは当たり前のことかもしれないけど、もっと胸を張ってもいいことなのかもしれない。
— とむ(森の中に家を建てることが夢) (@tomtombread) June 20, 2022
諏訪湖にいる。引きこもりの時、ずっと行きたいと心が叫び続けていた場所は、海だった。けれど私は今、なぜか湖にいる。海の荒々さを目の当たりにすれば、自分の胸のわだかまりをすべて破壊してくれるような気がしていた。けれど私は今、湖にいる。荒治療でぶっ壊すことより、高原の木々と、澄んだ空気、それから小鳥のさえずりが聞こえる静かな湖を選んだ。今は諏訪湖に来て良かったと思っている。私のルーツは海より山にあるのだと思う。かれこれ、引きこもりから脱して20日が経とうとしているが、確実にこれまでにないほど自分の中に力が巡り始めているのを感じている。
誰しも生まれた時から続けられる力を持っている
「毎日続けることは難しいことだ!」ってずっと思ってたけれど、「でもみんな嫌なこと続けているよね」っていうある人の言葉に思わず大爆笑してしまった(笑)これは別に、毎日嫌々仕事をしている典型的な日本人を馬鹿にしているわけじゃなくて、僕自身にも当てはまることがあるなぁ~と思ったから、「言われてみればそうじゃん!ずっと毎日続けること難しいって思ってたけれど、俺も嫌々毎日続けていることたくさんあるじゃん!」って、あれもこれも思い当たるものが出てきて、呆れるほどに笑ってしまった。
毎日続けるには、いわゆる「努力」「忍耐」「継続力」「規律」のようなものが必要だという。ならば、毎朝欠かさずコーヒーを淹れる私は規律があって、歯磨きを10分以上できる私は忍耐力があって、毎日欠かさず自然に「今日もお前は美しいな!」と語りかける私は継続力があるということになる。さらに毎朝、決まってBeatlesの”here comes the sun”を流しながら日記を書く私は、努力すらしていない。もはや異次元の天才ということになる!
実は続けられていることが沢山あると知った時、自分の見え方が変わる。規律がなくて、面倒くさがり屋で、気分屋で、ちょっと疲れるとやっぱ駄目だとすぐに弱気になるような自分でも、実はこれまで生きてきた28年間ずっと続けていることすらもある。
我々人間は誰一人欠かさず、生まれた時からずっと呼吸をしている。綺麗な景色を見た時、感動してきた。苦しいときは、泣いてきた。楽しいとき、嬉しいときは笑ってきた。ずっとずっと続けていることがある。それは当たり前のことかもしれない。けど実は、もっと胸を張ってもいいことなのかもしれない。そんな自分を誇るところから、「あれ私って続けられるじゃん」みたいに、また1つ続けられることが増える気がする。
私は、毎日続けることに憧れてる。毎日綴った言葉を、ブログに投稿できたらなと夢を見る。読んでくれる人が増える。それだけで嬉しい。声をかけてもらえる。そしたらもっと嬉しい。出会いが生まれる。それだけでブログをやって良かったと思える。同志となって一緒に美味い窯の飯を食える。そしたらもう声にならないほど幸せだろう。そんなことを形にしたい!
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