見栄によって身なりを整えるのではなく、威厳によって身なりを整える[170/1000]
身体は疲れやすく、心は傷つきやすい。脆い器に生きている。丈夫な器が欲しいと何度も願った。丈夫なもののほうが優れていると教えられた。しかし魂の視点を持つときは、この脆ささえも愛おしくなる。もし絶対に割れることも壊れることも…
身体は疲れやすく、心は傷つきやすい。脆い器に生きている。丈夫な器が欲しいと何度も願った。丈夫なもののほうが優れていると教えられた。しかし魂の視点を持つときは、この脆ささえも愛おしくなる。もし絶対に割れることも壊れることも…
山の修行は過酷であるが、日常の中で修行を貫き通すことも等しく大変だ。 街の喧騒から離れ、汚れないように純粋を貫こうとするが、汚れの中でも純粋でいられることのほうがずっと難しいことだろう。 毎日瞑想をする私は…
幸せにとどまらず、不幸を迎えに行こう。不幸にとどまらず、幸せを迎えに行こう。幸せも不幸も自分のものではないのに、自分のものにしようとするからおかしくなるのだ。 波は自然にうねらせておけばいい。波がうねる分だけ、命は燃焼し…
善のフリをした悪というものは、この世に多く存在しているように思う。 (何が善で、何が悪かを論じられる人間ではないので、今日のところは昨日書いたように、自我の膨張作用を悪とし、法を身に纏う力を善としたい) 人間が生まれ持っ…
人間が生まれ持った自我の膨張作用を、性悪説のいわれとするとするなら、人間が法を身に纏う力を持って生まれたことこそ、性善説のいわれではないか。 悪とは自分を肥やすこと、自分のために生きることであり、善とは自分を律すること、…
私など価値のない存在だと思うことが、既に自惚れではないだろうか。 自分の宿命を見ようともせず、見える部分だけを比較する。本当は都合のいい自分の浅ましさを、恥じて戒めるべきではないのか。寄り添うよりも「自惚れるな」と一喝す…
葉隠に「不仕合せの時、草臥るる者は益に立たざるなり」という一句がある。 なぜ「幸せ」ではなく「仕合せ」なのか、ずっと疑問だったが、これは幸せの旧字なのではなく、”仕えて合わさる状態”を指しているの…
法は宇宙のものであり自然である。ゆえに天を畏れ、これに仕えることをもって目的とする者のみが法を実行することができる。 天はあらゆる人を同一に愛する。ゆえに我々も自分を愛するように人を愛さなければならない(我を愛する心をも…
一人で空を見上げる人間ほど、潜在的な部分で天に恋をしているのだと思う。人それぞれ、天に通ずる道を持っている。直感的にこれを失えば、天から切り離されると感じるものがある。これをしなければ人生が進まないと感じることがある。そ…
自我のまわりに法を纏うのだとしたら、自己が点になるほど強く思い焦がれることが、武士の在り方だったかもしれない。 純粋な一点をめざして「純粋な点」になることが法を身とすることの本当の意味ではないないだろうか。https:/…