BTM(Break the moral)作戦②-月を指す指は月ではない[431/1000]

Operation Break the moral. 略してBTM作戦を決行してから、調子がみるみるよくなっている。いかに道徳観念に縛られ、全身の血流を悪くしていたのだと自覚する。生きることに楽しさを感じられず、力の湧いてこない日々が長いことつづいていたが、今は元気を取り戻し、結果として家づくりの作業ペースも一気にあがった。

今思えば、なぜだか分からないけれど、私は病的なほど、道徳に憑りつかれていた。私の首を絞めていた教条の数々は、言葉になっていくのも時間の問題であるが、例えば、”生き物を大切にしなければならない”という観念によって、私は蚊を一匹殺すことさえできなかったのである。森で作業をしていると、多いときには数十匹の蚊にまとわりつかれるが、そんな中、私は律義に蚊を殺さないように努め、息を吹きかけるなり、手で払いのけるなりして、発狂しそうなほどの心労を抱えながらも、蚊を慈しむように努めていたのである。そんな日々をおくっていると、森にいることが苦行となり、家づくりも楽しくなくなった。

他にも、人に迷惑をかけてはいけないとか、楽をしちゃいけないとか、小さい頃からあちこちで耳にする言葉は、すべて教条と化した道徳である。こうした道徳は当然正しいことではあるが、言葉にするのはお坊さんの説教だけで十分である。

宗教なんかを例えにすると分かりやすい。教条と化した宗教も、元々はイエスやブッタという一人の人間の生き様に感化されたものである。「月を指す指は月ではない」という言葉があるように、教条そのものが目的となることは、本来、イエスやブッタが望んだことではないだろう。

BTM作戦は、月を指す指を打ち破ることである。私はここに積年の恨みをぶつけるように、思考に教条があらわれる際、ふざけんなこの野郎と反骨心を燃やしている。教条を打ち破った後は、爽快感に満ちる。体に力が漲り、生き返った心地がする。

道徳を打ち破ったからといって、すぐに悪人になるわけではない。あくまで打ち破るのは、月を指す指である。自己を盲目にする導きに反旗を翻したにすぎないのだ。そこから月を目指すのか、はたまた導きを失って地獄に堕ちるかは、自分次第である。ただ、私の実感としては、とにかく爽快の一言に尽きるのだ。鎖が解き放たれ、自由となった身は、結果として月に近づいているようにも感じている。

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