心の会話をするから心が育つ。心をどんどん豊かにする贅沢な会話

山梨県北杜市にいる。

昨晩は、以前知り合った方が、こちらに来るとのことで、一緒に肉を焼いた。

ランタンの灯りのなか、小さなフライパンの上に、少量の肉をのせると、ジュワーと肉が焼ける音が静寂に響いた。

久しぶりの再会に言葉を交えながら、久しぶりの肉をほおばるのは、この上ない贅沢だった。

 

こうして人との出会いを通して、対話を繰り返していると、世の中には

  1. 頭の会話
  2. 心の会話

の2種類の会話があることが分かる。

 

ボクは“心の会話”が好きだ。

知識を語るよりも知恵を語りたい。社会の事柄よりも、「私たちの心」を語りたい。

 

よく会話は”言葉のキャッチボール”っていうけれど、心の会話は”エネルギーのキャッチボール”だと思う。

もっと言うなら、”キャッチボール”なんて生ぬるいものじゃなくて、“本気の全力投球”だと思う。

 

つまり、心の会話とは“エネルギーの全力投球”だ。

 

暴投を恐れずに、相手が受け止めてくれることを信じて、ただただ全力で投げる。

それが、相手のミットにズドンとおさまったときの感動は忘れられないものだ。

 

不思議なことに、そんな会話を終えた後は、自分も相手もみなぎっていることが多い。

心が洗われて、本来の自分に近づけたのだと思う。

 

 

1 心の会話とは、互いのエネルギーを交換し合うもの

人をめぐる旅(山梨県北杜市)

頭の会話は、エネルギーを消費し、

心の会話は、エネルギーを増幅させる。

 

話を聞き終わったときは、ドッと疲れるか、元気になっているかの2パターンに分かれる。

理屈でモノを話されると、筋は通っていて「なるほど」と理解できるところはあるけれど、「つまらない」と感じてしまう。

延々と話をされると、まるで拷問を受けているような気になり、聞き終わったときにはエネルギーを吸い取られた気持ちになる。

 

ボクは、心が発する、素直で純粋な言葉を聞きたいのだ。

  • 辛いのなら、辛いと言えばいい。
  • 怖いのなら、怖いと言えばいい。
  • 寂しいなら、寂しいと言えばいい。
  • 助けてほしいなら、助けてと言えばいい。
  • やりたいことがあるのなら、「やりたい!」と言えばいい。

 

 

先日とある女性から、「とむさんの生き方とか考え方が大好きで元気をもらえます」とメッセージを頂いた。

すごく嬉しかった。

 

ぶわ~っと全身の体温が上がって、力がみなぎってくるのを感じた。

 

「大好き」という言葉は、純粋な心からしか生まれない言葉だ。

自分の心を蔑ろにしていたら、そんな言葉は決して生まれてこない。

 

最近よく、以前働いていた放課後デイサービスの子供達の顔を思い出す。

一緒にスケボーで鬼ごっこをしたり、石を色んな太さの木の棒で叩いて、音を奏でたりもした。

 

子供は純粋で、「好き」とも「嫌い」ともハッキリ言葉にするし、

「やりたい」とも「やりたくない」とも言う。

 

そんな彼らが、ボクは大好きだった。

「言葉を発した人も、言葉を受けた人も元気になる。」

それが心の会話だと思う。

 

2 心の会話は未熟なもの。だからこそ育てよ

心の会話は頭の会話と比べて「未熟なもの」。

心と心で話すから「育っていく」。

 

人は社会に適応していくにつれて、童心を失っていく。

「こうしなきゃ」って合理的に生産的に生きるようになって、「こうなりたい」「こうしたい」っていう声は次第に弱くなる。

 

「現実は…」という言葉が、ボクはすごく嫌いだ。

現実がなんだと思う。心を殺して、損得で生きて、何が人生だ。

 

全国の家庭では、こんなやり取りが繰り返されている。

子「(心が)こうしたいんだ…….!」

親「(頭が)でもね….」

 

心 vs 頭で会話をすれば、心はポキンと折られる。

心はまだまだ未熟なものだから、頭の理屈の前ではかなわないことが多々あるから。

 

けれど、未熟だからこそ、ボクたちは「心の会話」を通じて、「心を育てる」のだと思う。

  • 「こうしたい!」という心の声は、「私もこうしたい!」の一言で育っていく。
  • 「怖い」の声は「私も怖い」の一声で、互いに前に進める
  • 「寂しい」の声は「私も寂しい」の一声で、安心感が生まれる

 

思い切って心の内を話しても、受け止めてくれる人は少ないのかもしれない。

もしかしたら、「未熟さ」を見せれば、マウントを取られて傷つくかもしれない。

 

もしそんな人が現れたら、距離を置けばいい。

 

だから、思い切って、色んな人に、心の内を話せばいい。

もし受け止めてくれる人があらわれたとき、それはきっと私たちの心を大きく豊かにする。

そんな関係性が、財産なのだとボクは思う。

 

3 心の会話ができないのは怖いだけなのだ

心の会話ができないのは

自分の弱さを見ることが怖いだけ。

 

じつはボクはずっと、頭でっかちだった。

人の純粋な心の声を、裁判官のように知識を用いて、正否で判断していた。

 

今でもそんな自分を恥じる。

当時、会話をして嫌な気分をした人がいれば、「ごめん」と真正面から謝りたい。

 

当時の心の声を読みとると、

ボクは「怖かった」のだ。

 

頭で語れば、強い自分になったと錯覚できる。

頭で語れば、心の未熟さが他人に知られることもない。

だから、本当は弱い人間なのに、「強い人間だ」と見栄を張っていた。

 

けれど、本当はずっと

「心の会話がしたかった」のだ。

 

心で会話をして、心の底から一緒に笑い合いたかった。

弱い人間としての自分を受け止めてほしかった。

 

だから、頭で一生懸命語っている人の気持ちも分かる。

そんな人を見ると、「頑張れ!」って思う。

 

昨晩、一緒に肉を囲った男性はこんな話をしてくれた。

中学生のころに付き合っていた女性が、見知らぬ人に性的な暴行を受けた。

彼は心に深い傷を負って、人が信じられなくなった。

外に出歩くことが怖くなって、コンビニにも、学校にも行けなくなった。

…..という話。

 

同時に彼はこんな言葉を残した。

この傷をずっと癒そうとして、苦しんできた。

けれど、これは癒えない傷だ。

 

だから、無理やり癒そうとするのではなくて、

この傷を背負って生きいく覚悟をきめた。

 

彼の心の言葉は、すごく力強かった。

身体が震えていて、気づいたら「好き!」と伝えていた。

 

心の会話には、勇気がいるかもしれない。

けれど、互いに力を分け合い、互いに心を育てる贅沢なモノ。

 

たくさんの心の会話をして、たくさん震えよう。

そして、どんどん心豊かで美しい人間になろう。

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