私たちは、生まれ持った目を用いて地球の美しさを知ることができる。
だがいっぽうで、心の目を持ち得なければ、目に見えない美しさは蔑ろにされる。私たちは目に頼り、依存しすぎているのだと思う。
目に見えるものよりも、目に見えないものを大切にすることには勇気がいる。
私は心を信じたい。— とむ(原付テント生活) (@tomtombread) June 21, 2019
大切なものは目に見えないっていうけれど、きっと嘘ね。
誠実に生きていれば、大切なものしか見えなくなる。
私たちはきっと、目に頼りすぎている。
だから、目に見えない豊かさを追い求めることが不安になる。
けれど、心は信じたい。大切なものはきっとそこにあるって。
私たちは、そんな葛藤を日々の中で繰り返しながら生きている。
けれど、それでいいのだと思う。
葛藤を繰り返した数だけ、人はより人間らしくなる。
私たちは決して間違っていない。
葛藤を生みながらも、正直に生きることは、私たちの人生をきっと豊かにする。
1 大切なものは目に見えないことを私たちは知っている。
大切なものは目に見えないことを
私たちは既に気づいているのだと思う。
生きてれば、色んなことがある。
落ち込むことも、誰かに嫉妬することも、認めてほしいと思うことも、苦しくなることも、ある。
けれど、私たち人間の心底にある願いは、とても単純なものだと思う。
私達はただ、夢を叶えたいのだ。
そして愛に生きたいのだ。
本当にこれだけな気がする。— とむ(原付テント生活) (@tomtombread) June 19, 2019
私たちはただ、
- 夢を叶えたくて
- 愛に生きたい
だけなのだと思う。
- 思い通りにいかなくて、苦しい思いをしているときも
- うまくいっている人を見て、嫉妬してしまうときも
- 誰かに認めてほしくて、空回りしちゃうときも
- 意地悪なことをされて、思いっきり傷ついたときも
私たちの深い部分にある望みなんて、実はこれだけなんじゃないかって。
夢っていっても、ミュージシャンになりたいとか、宇宙飛行士になりたいとか、必ずしも職業である必要はない。
「自分はこんな人間になりたい」「自分はこんな生き方がしたい」っていうのも、立派な夢だって私は思う。
真っすぐ生きていると『夢と愛が交わる瞬間』がある。
- なりたい自分、好きな自分でいられながら(夢)
- 誰かと笑顔で心から繋がれる瞬間(愛)
そんな瞬間を1秒でも過ごせたら、ずっと怖いと思っていたものが、嘘だったように、消え去ってしまうのだと思う。
夢と愛の力って、1つずつでもすごく強力だけれど、これが交わったときには、死の恐怖すら溶かしてしまうくらい、熱のあるものだって私は思う。
そんな瞬間を、毎日味わうことができたら、すごくすごく幸せなことよね。
これが、決してお金では買えない、人間の美しく、尊いものだって思うの。
それを味わったことのある心なら、ちゃんと知ってる。
どれだけ、派手さに目がくらもうと、心はそんな「美しさ」を忘れられないし、忘れたくないのだって。
2 大切なものは目に見えないと気づく瞬間
『夢と愛の交差点』を繰り返し味わうと、
人は変わっていく。
夢と愛の交差点を繰り返し味わううちに、人は変わっていくのだと思う。
- 自分の言葉で、だれかの目から涙がこぼれた瞬間
- 自分の優しさで、だれかの顔がしわくちゃの笑顔になった瞬間
- 自分の正義で、「勇気もらえた!」「元気になった!」と言ってもらえた瞬間
そんな瞬間ってすごくすごく嬉しいよね。
私は自分がこの世に存在していることを、確認できたみたいな気持ちになってすごく安心する。
そんな経験を繰り返していくと、『心の目』は育っていく。
目に見えないものの歓びを知れたとき、人は気づく。
目で追うことの虚しさと、心の目が生む豊かさに。— とむ(原付テント生活) (@tomtombread) June 23, 2019
私は、タイを旅していたときに、屋台で食べたパッタイが忘れられない。
お世辞にも清潔とはいえないような調理場(ハエがたかっていた)で作られた1ドルあまりのパッタイだったけれど、これまで食べたどんなお洒落で高い料理よりも美味かった。
きっと、久々に再会した友人たちと、言葉の通じないおばちゃん達と、「アロイー(美味しい)」と笑い合いながら食べていたからだと思う。
あのとき私は、
- 舌で『味』を味わったのではなく
- 心で『愛』を味わった
って思う。
「ご飯を食べる」という日常の行為1つでも、愛の力でこんなにも特別なものになるんだって、すごく感動した。
さっきも言ったけれど、本当に「愛」の力って、とてつもなく強力ね。
きっと誰しもがそんな経験ある思う。
- 母の作る手料理は特別だし、
- 星空の下で、友達と食うカップ麺は極上に感じる。
- 苦しみながらも仲間と登り切った山頂の景色は格別だし、
- 全力で走り終えた後の汗は、達成感に満ち溢れていてすごく心地が良い。
「お金を使ったほうが良い経験ができる」と一般的には考えられるけれど、私は逆の場合もあるって思う。
お金を使わないことのほうが、実は愛を感じやすかったりする。
それは、派手さがなくなる分、「目」ではなく「心の目」を見開けるから。
何か調子が悪いときって、きっと目に頼りすぎてる。
頼りすぎているというよりも、依存しすぎている。
そんな時は、目を閉じることだと思う。
私はよく目を閉じる。目を閉じて、心の目を見開く。
「どんなときに私は幸せを感じるのか」って静かに問う。
そんな時、いつも心の目に映るものこそ、私たちの道なんじゃないかな。
私の場合は、いつもそれが『夢と愛の交差点』。
3 大切なものは目に見えないはずだったが、大切なものしか見えなくなる
大切なものは目に見えないっていうけれど、
誠実に生きていれば、大切なものしか見えなくなるのだと思う。
最近、私は美しさを保ったまま死にたいって思う。
既に、家も車も仕事も安定もないような状態だけれど、このまま誠実に生き抜いてやろうって。
私はいま、旅をしているのだけれど、旅をしているとよく、「若いうちだけだよね」って言われる。
その度に、「そんな悲しいこと、言わないでくれ」と泣き叫びたくなる。
私たちが生きる世界が、大人になるにつれ、誠実に、美しく、正直に、清く、純粋に、生きることが許されなくなるなんて、私は信じたくない。
それが「現実」と言われるものなら、「空想」を生きてやるって思う。
友人が、落合陽一さんのこんな言葉を紹介してくれた。
放っておいたら先延ばしにしていたら心が歳をとるのだ。
一生で得られる幸せを最大化するには幸せを一番感じられるときに、幸せを感じる必要があり、そして心自体も老いないようにしなければならないのだ。
諦めさえしなければ青春は続くし、後悔からくるこじらせたような歳の取り方をしてはいけない。 -落合陽一
「現実」だと諦めてしまえば、心は歳をとって、本当にそれが「現実」になっちゃう。
けれど、「空想」だろうと「虚構」だろうと、自分の正義に忠実に生きつづければ、きっとそんな人生になる。
大切なものは目に見えないというけれど、これはきっと嘘ね。
自分に正直に生き続ければ、大切なものしか見えなくなる。
私はいま家も仕事もない生活をしているのだけれど、なんだかすごく心地がいい。
旅をしていると、不運な出来事や、意地悪なこともあって、その都度くじけそうになるのだけれど、ちょっとずつ人間らしくなってる。
もしよかったら、旅の動画も観て。
観てくれただけでも、嬉しいけれど、何か感じたことがあったら、コメントもちょうだい!
そしたら私、すごく嬉しいです!
あなたに勇気をもらっています。どうか私の夢であり続けてください。がんばれ!
そんなあなたにも勇気をもらいました。
どうか私達の愛が育まれますように。
一緒に生きましょう!