この記事では、10日間のヴィパッサナー瞑想合宿に2度参加してきた僕が、
そこから、見えたヴィパッサナー瞑想の仕組みを丸っと解説していきます。
傍から見たら怪しさ満載ですが、この記事でその不安感を和らげれたらと思います。
Contents
1 ヴィパッサナー瞑想は宗教か否か?
“ヴィパッサナー瞑想ってちょっと宗教っぽくない?”
これが一番多い疑問だと思います。
そもそも宗教=悪いと妄信すること自体が、宗教くさいのですが、
この質問が出てくるのは、宗教の定義が曖昧になっているからです。
“宗教とは思考を停止させて、盲目的に何かを信じること、何かにすがること”です。
これを宗教の定義とするならば、
ヴィパッサナー瞑想が宗教であるか否かは、自分次第ということになります。
ヴィパッサナー瞑想は釈迦が悟りを開いた瞑想法と言われていますが、
もともとは、宗教とは無関係の実践法でした。
その実践に、苦からの救済を乞う人々が集まり、
盲目的に信じられて、それが後世に継承されるために形となったものが、原始仏教です。
さらに、この原始仏教から、色んなものが足されたり引かれたりして、
生まれた派閥が、今の日本で主要となっている仏教思想です。
つまり、もともと瞑想と宗教は、切り離されているものでした。
ヴィパッサナー瞑想を
宗教と扱うのか、自分を洗練される技術として扱うのかは
自分次第ということになります。
2 ヴィパッサナー瞑想の考え方は?
ヴィパッサナー瞑想の考え方
- 人の苦しみは、渇望と嫌悪から生まれる。
- 人は、日々の生活の中で渇望と嫌悪を無意識に心にためている。
- 渇望と嫌悪を心にためないためには、自分の状態に気付いている必要がある。
- 自分に気付いている方法が、瞑想。
- 瞑想を通じて、渇望と嫌悪を浄化できる。
ヴィパッサナー瞑想の考え方をまとめてみました。
簡単に言うと、人の苦しみの種になる渇望と嫌悪を、
瞑想を通じて、心に蓄えるのを辞めて、同時に浄化していくよっていう考え方です。
多くの宗教と一線を画しているのは、
ヴィパッサナー瞑想は、信仰する側面よりも、実践的な部分が強いということですね。
瞑想が日本で受け入れられつつあるのはこれが理由だと僕は思ってます。
3 ヴィパッサナー瞑想の考え方に対する個人的な考察
瞑想において、苦しみから逃れること=幸せ、と考えるけど、
今の日本は、瞑想が誕生した時代のインドとバックグラウンドとは明らかに違う。
幸せの形も多様化しているし、
物的に豊かで、欲求を満たしながら生きていける社会において、
飢えで苦しむことなんてまずない。
確かに、渇望することには終わりがないし、
人間関係など満たされない時に人は莫大なストレスがかかる。
けど、自分の何かを欲する気持ちから何かを掴む生き方をしたいのであれば、
渇望をただ退ける生き方は、賢いとは言えない。
渇望は自分を前に動かすための強力な力になるから。
本質的に人を苦しめるのは、何かを欲する気持ちではなく、執着する姿勢である。
人はつい、自分の考え、自分の物、自分の世界観、ありとあらゆる自分のものに固執してしまいがち。
けど、執着は確実にストレスを生む。瞑想でいう苦しみを生む。
これは間違いない。
だから、執着を断つ技術として、
瞑想は技術として持っておくのはかなり有意義。
4 ヴィパッサナー瞑想の仕組みを解説
渇望とか嫌悪とか執着とか、
分からない人もいると思うので簡単に解説します。
例えば、職場での人間関係。
どうしようもなく、苦手な人が職場にいて、その人に会うたびに嫌悪感が生まれるとします。
この時点で、執着しなければこの嫌悪感とはおさらばです。自然消滅していきます。さようなら。
しかし、執着するとどうなるか。。
この図のように、
執着すると、嫌悪感は増幅していきます。
質が悪いのは、人はこれを無意識のもとで行っているということです。
これを食い止めるのが、瞑想の1つの技術です。
この図のように、
嫌悪に意識的に気付くことが出来れば、
執着を回避することができます。
ちなみに、これは僕の経験なのですが、
不思議なことに客観的に自分の状態に気付いていれば、
嫌悪感は川の流れのごとく自然に消えていきます。
何にもしなくていいです。
何にもしないこと=執着しないですから。
この仕組みを簡単にまとめると、
『瞑想→自分に気付く→執着STOP→ストレス低下』ということになります。
5 ヴィパッサナー瞑想と心理学の接点
ヴィパッサナー瞑想と、
心理学で共通している部分があることに気がづきました。
例えば、『手放し』。
心理学では、執着を手放す時に「手放し」という手法が取られます。
そのプロセスは、『感情を感じる→過去の体験を受け入れる→感謝する&赦す→手放す』というものです。
一方ヴィパッサナー瞑想は、
『自分を観察する(感覚・感情・思考)→観察したことに反応しない(=受け入れる)→渇望と嫌悪を浄化する』です。
両者を見ても、ヴィパッサナー瞑想の一連のプロセスが、
手放しと本質的に共通しているように思います。
少なくとも2つを体験して、
実際に自分の中で起こった反応が同じだと感じたので、この考察が生まれたわけですが。
6 ヴィパッサナー瞑想が怖い?
ここまで見てみると、
ヴィパッサナー瞑想=怖いっていう先入観が無くなったのではないかと思います。
もし、怖いものがあるとするならば、
ヴィパッサナー瞑想を宗教のように妄信し、すがろうとすることではないでしょうか。
ヴィパッサナー瞑想そのものは、非常に興味深い技術だと思いますし、
もし興味のある方は、実際にやってみることをおすすめします。
時間があれば、一度合宿に参加してみても良い経験になると思います。
素晴らしい記事ですね。超共感しました!!
マインドフルネス私もやっています。
とむさんと対話したい!!
ふたせんさん
おおお、共感していただけてとても嬉しいです。マインドフルネスも最高です!
僕でよければ、いつでも対話しましょう!