- 生きることがめんどうくさいと感じている人
- 毎日をただ惰性的に過ごすことに虚しさを感じる人
- 平和な日々なのだけれど、生きがいがない人
- だからといって死ぬ理由もないから、ただ生きている人
に読んでほしいです。
きっとこれをお読みの方は、「生きることはめんどうであってはいけない!」「生きることは楽しく、心躍るものでなくちゃいけない!」という前提をお持ちだと思います。
しかし冷静になってみると、そもそも『生きることはめんどくさいこと』だと思いませんか?
面倒くさいなんてこと、何も今に始まったことではありません。いつだって面倒くさいと感じてきました。
宿題がめんどうくさい。仕事がめんどうくさい。人付き合いがめんどうくさい。家事をすることがめんどうくさい。外出するのがめんどうくさい。
.・・・・・そう。我々は本来、怠け者なのです!
事あるごとに、めんどうくさいと感じて、気づいたらソファに横になろうとする怠け者なのです。
だから「生きることがめんどうくさい」と言われても、「うんうん。そのとおりだよね!私も一緒だよ!」と私は思います。
むしろ、凄いことなのです!こんなめんどうくさい人生を、何十年も、立派にこなしているのですから。堂々と胸を張りましょう!
Contents
生きることがめんどうくさいと感じるのは、適当を赦せない心
生きることがめんどうくさいと感じるのは、そもそも「生きること=めんどうくさいこと」だから。
我々、怠け者の人間は、怠け者なりに頑張って生きているのだ。
「なーんだ。めんどうくさいって感じてもいいんだ」と思うと、少しは気が楽になりませんか?
生きることがめんどくさいと思っても、それは別におかしくないんだと。
1つの考えとして、
生きることがめんどくさいと思うのは、『生』に意識が当たっているからなのかもしれません。
80歳や100歳まで生き続けるものだと思えば、生きることが面倒に思えてきませんか。
「3年後に死ぬ」とすればどうでしょう。
きっと何かが変わりそうですよね。
いま私は、かつての仕事を辞めて生きています。
ずっと望んでいた東南アジアを旅し、テントで生活をしながら、世界一周に向けてお金をためています。
先ほども書いたように、今も「生きることがめんどくさい」と感じることは度々あります。
ただ『生』から『死』に意識を向けてから、人生はドラマティックなものに変わりました。
そんな体験を踏まえて、
- 生きることがめんどくさくなくなる理由
- 「生きることがめんどくさい」を脱却する手がかり
をまとめていきたいと思います
1 生きることがめんどくさいのは、生きることが当たり前になっているから
生きることがめんどくさくなるのは、生きることが当たり前になっているから。
もし3年後に死ぬとしたら?
病気になったときに、初めて健康な身体のありがたみが分かるように、人は「死」を体験しなければ、「生」のありがたみは分からない生き物なんだと、私は思うのです。
もし3年後に死ぬならば、おそらく今の生活の大半は変わってくるのではないでしょうか。
- 楽しくない人間関係
- 楽しくない生活
- 楽しくない毎日
- 楽しくない仕事
これらは、
- 感謝にあふれる人間関係
- 感謝にあふれる生活
- ワクワクする毎日
- 充実した仕事
に変わってくるかもしれません。
こちらの図をご覧ください。
この2つの黒い円は何を示していると思いますか?
これは、20歳の時点での残りの寿命を表したものです。
下の黒丸がすでに終わった分の人生、上の黒丸がこれからやってくる残りの分の人生ですね。
30歳、40歳の人の寿命はこのように表されます。
左が30歳で右が40歳です。
50歳、60歳の人の寿命はこのようになります。
左が50歳で、右が60歳です。
この図を見て、どのように感じるでしょうか。
「まだこんなにもあるのか~」と感じる人も、「え、あとこれだけしかないの?」と驚いた人もいるかもしれませんね。
ご自身の年齢に近い、残りの黒円をよ~く見つめてみてください。
そこには、どんな人生が待っているでしょうか。
「生きることがめんどくさい」と考えてしまうときは、
未来は、「過去」の繰り返し
と少なからず考えてしまっているのではないでしょうか。
けれど、この図を見れば、それがはっきりと違うことが分かりますよね。
上から下に落ちたものと(過去)と、これから降ってくるもの(未来)は、連続的に見えて、実は別物です。
下の黒丸(過去)に、どんな辛い人生や、つまらなかった人生が詰まっていたとしても、
上の黒丸(未来)は、幸せいっぱいの自分の人生を好きなように生きることができるのです。
生きることがめんどくさい…確かにそう。
けれど、そんなつまらない状態が、80歳まで続くなんて、まっぴらごめんですよね。
2 生きることがめんどくさいのは、本当にやりたいことができていないから。
生きることがめんどくさいのは、本当にやりたいことができていないから。
『死』に焦点が当たると生活の見え方が変わる。
生きることがめんどくさいのって、本当にやりたいことができていないだけかもしれません。
老後や将来への不安ばかり積もれば、”今”が犠牲になり、やりたいことができなくなりますよね。
自分の想いを大切にできなくなれば、生きることは楽しくなくなります。
もし、3年後に死ぬとしたらどうでしょうか…。
3年でなくても、リアルに感じられるのなら明日でも構いません。
「死ぬ前にこれだけはやっておきたい」ことこそが、実は「自分が本当に大切にしたいこと」なのかもしれません。
もし、それを今から追いかけるとしたら…?
今の生活のいくつかを捨てる必要は出てくるかもしれませんが、人生はなんだか楽しくなりそうですよね。
死をリアルに感じると、「生きることがめんどくさい」という毎日は、180度変わります。
- 80歳まで生きることを前提に設計してきた生活プランが壊れて
- 自分が今本当にやりたいことが出てくるから
です。
それに、80歳まで生きられる保証なんて、どこにもないのかもしれません。
平成29年には、1,340,397人の方が亡くなっています。
当然中には10代~40代の方も含まれているでしょう。
先日、すごく輝くように生きていた女性に会いました。
彼女はピアノの全国大会に出て、スノボーのパフォーマーとしてオーストリアに行って、小説も書いてるといいます。
話を聞いてたら、過去に入院して死にかけた経験があるらしくて、『余命一週間のつもりで生きてる』というのです。
やっぱり死の境地に立たされた人間は、生きることを大切にできるのですね。
ただ、そんな経験がなくとも、自分の死を考えて、自分の「生」を大事にしたいものです。
3 生きることがめんどくさいなら、自分で死ぬときを決めればいい
運命とやらに身を委ねて、いつ死ぬか分からない中、不安を抱えて自分を生きられないくらいなら
自分で死を設定して、それに向かって自分を生き抜くほうがいい
結局、本質をつきつめれば、ここにたどり着くと思うのです。
「自分を殺してだらだらと生きるのか、自分を生きて潔く死ぬか」
前者と後者では、ライフスタイルは一変しますよね。
嫌な仕事でもお金の安定をとるのか、多少不安定になろうとも、好きなことを貫いて楽しく生きるのか。
私は後者をとることにしました。
ずっと前者の生き方をしてきた私は、そんな生き方に息苦しさを感じていたこともありましたし、何より楽しくなかったのです。
いまは、30歳で死ぬことを目標に、日々を生きることにしました。
私はいま25歳…あと5年となると、先ほどの黒丸の図もこのようになります。
こうして俯瞰してみると、本当にあと少し!
スマホのトップ画面では、カウントダウンも始まりました。
2019年1月で25なので、ちょうど2024年の1月ですね。
こうして、改めて自分の死に焦点をあててみると、
「生きることがめんどくさい」と思っていたのに、「あとこんだけなら頑張ろうか」と思えるようになるから本当に不思議ですよね。
もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?
これはあのスティーブジョブズの有名な言葉ですね。
本当に、的を得ているなと思うのですが、この言葉を聞いて、一体どれほどの人が、実際に”死”を感じながら生きているでしょうか。
これを聞いても、つい「そうは言っても、現実は死なないから….」と思ってしまいます。
けれど、これもきっと態度を変えればいいのだと思う。
死ぬか分からないから、生をまっとうしないのではなく、
「この日に死んでやる」くらいの勢いで、生きればいいのだと。
「生きることがめんどくさい」と嘆きながら、自分を犠牲にして生きるのか、自分の死を見つめて、今を精一杯生きるのか、やるべきことは見えてきますよね。
4 生きることがめんどくさいと思っても自分を卑下しなくてもいい(追記)
生きることがめんどくさいと思うことは普通だ。
そう感じたとしても、自分を卑下しなくてもいい。
実際、これを書いている私は、仕事をやめて東南アジアを旅しました。
苦しくて、「生きることなんてお腹いっぱいだ」と思っていましたが、30歳を死ぬことを前提に行動していたら、「なんだか生きることも悪くないな」と思えてきました。
もちろん、今でも生きることは簡単なことだとは思っていません。
けれど、それでいいと思っているのです。
楽をして生きようとしたとき、生きることはつまらなくなる。
自分を貫く道は苦しけれど、その苦しみがあるからこそ、人生は心臓がバクバク言うほどに歓びにあふれる。
これはあくまで、私の人生観ですが、今振り返っても、生きることをおっくうに感じていた時期は無駄ではなかったなと思っています。
その時期があったからこそ、自分の死をみつめることもできましたし、自分を生きることの大切さを学ぶことができましたから。
こうして、人生を大局的に捉えると、めんどくさいと感じるのは、案外今だけなのかもしれません。
一寸先には、めんどくさいことなんて全て崩壊して、何もかもが楽しくなるかもしれない。
どうか、そんな希望を持って、気楽にやっていきましょう。
「生きることがめんどくさい」と感じていても大丈夫とね!
当時の自分を綴った記事です。
自分を大切にすることを綴った記事です。
5 まとめ
この記事でお伝えしたかったことは以下の3つです。
- 生きることがめんどくさいのは、そもそも生きることはめんどくさいことだから。
- 80歳まで生きる前提を崩して、自分をまっとうできたとき、生きることは少しずつ楽しくなる。
- 運命に身を委ねて、将来の不安ばかり感じて『自分』を生きられないくらいなら、自分で死を設定して『自分』を生きるほうがいい
- 死に焦点を当てられると、人生の生き方が180度変わる。
- 生きることがめんどくさいと思ってしまっても、そんな自分を卑下しなくていい。一寸先は光だ。
心配しなくても、いつかは死にます。
それまでの僅かな命。自分らしく、生きましょ。
ではっ!
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