もし自分の仮に享けた人間の肉体でそこに到達できなくても、どうしてそこへ到達できない筈があろうか[454/1000]

秋の涼しさを感じたと思えば、まだまだ残暑が厳しい。森の家づくりはラストスパートに入っており、床の張りつけがすべて終わり、本棚もつくりおえた。理想には遠く及ばないものの、どちらも良い味がある。床はパレットの廃材をばらして、きれいに張りなおした。本棚は180cmの杉板をベースにした5段構えのもので、頬杖に広葉樹の幹をそのまま使っている。樹の表皮も形状もそのまま使っているので、(かなり)おおげさであるが、まるで生きているような本棚である。この”生きているようだ”と感じられる点こそ、実はたいせつなことで、私が家づくりのなかで無意識に心がけていた美点である。

 

この理想のさらに先にあるのが、木の上に住むようなツリーハウスであり、「ジャックと豆の木」に出てくるような雲の上の城であり、「浦島太郎」に出てくるような海底の竜宮城である。洋の東西によってそのイメージするものは違うが、共通するのは、自然のなかで生きたい(自然と一体となりたい)憧れである。この憧れをひそかに抱きながら、おとぎ話として理想のなかだけに留めてきた。なぜなら、肉体の制約によって、雲の上や海の中で生活できないことを子供のころに知り、静かに絶望するからだ。それでも諦めの悪い人間がこの理想に少しでも近づこうと悪あがきをする。それを「夢」と呼ぶものもあるが、あくまで肉体にとっての夢であり、ほんとうの夢は肉体では到達できないもっと先にあるのである。

「もし自分の仮に享けた人間の肉体でそこに到達できなくても、どうしてそこへ到達できない筈があろうか」

三島由紀夫,「美しい星」

この肉体の制約のもとでは、到達できないかもしれない。しかし、憧れにむかいつづけることでしか、ほんとうの価値を見出せないのだ。

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