誰にも理解されないと感じるから、神に救いを求める。
神に救いを求めて、言葉は紡ぎ出される。
だから、詩も音楽も芸術も、涙がある。
涙があるものに、たくさん触れていたい。
深い孤独を抱えたまま生きていくほど、人は強くない。だから、自分を理解してくれる友を必要とするし、自分を理解してくれる”何か”を現世につくりたい。詩も、音楽も、踊りも、悲哀から現世につくられた”何か”は、神を宿すと思う。深い孤独を癒すのは、いつも人間を超えた大きな存在だ。海であり、山であり、空であり、月の光であり、風である。
もちろん、温かい人間の心に慰められることもある。私も、他人の温かさに何度も救われた。しかし、本当に底の底のすべてから自分を理解するのは、人間を超越した神にしか不可能に思う。自分ですら、自分を理解することができていない。もし、他人が自分のすべてを理解してくれることがあれば、その人間の中に神を感じたということだろう。
例えば、それは、お婆ちゃんが丁寧に布に包んでくれた、おむすびを食べるときのように、言葉を必要としないことも少なくないのは、神が言葉を超えた存在であるからに他ならない。言うまでもなく、愛は神である。
かつて私は、愛を過信し、義を甘く見ていた。しかし今は、義を重んじている。愛は義を貫こうと苦しむ中で、自然と生まれるものだと信じることにした。
24歳で教員をやめたとき、私は「教育で日本を変える」という義を失った。それから、自由(奔放)主義に流れて、傍からは好きに気軽に生きているように見えただろうが、私を覆うのは圧倒的な虚無だった。
結果として、20代の半分は、人生の虚無を問うことに費やされた。虚無な人生に、生きる意味を見出したくて、愛を渇望した。愛は万能であり、この世のすべての苦しみから人間を解放すると信じていた。当時のブログには、愛を渇望する悲痛な叫びばかり書き連ねた記憶がある。
しかし、この虚無の正体は、義を失った反動によるものだと本当は分かっていた。どうすれば義を立てられるのかが分からず、またその勇気も力もなく、愛に救いを求めるしかなかったのだった。しかし、義を愛で置き換えようとするのは、父の仕事を、母に押し付けるようなもので、宇宙の真理に反していた。だから、私がひたすら愛を渇望しても、愛の神は天から静かにほほ笑み続けるだけで、私の絶望はつのる一方だった。
愛ばかり見ていても、解決できないことがある。だから、愛を一度置いていくことに決めた。もちろん、これは愛に解決のすべてを委ねないという意味で、非道になるということではない。
今の世界は、優しさだけがすべての解決の鍵であるかのような空気がある。これはまやかしだ。癒しの音楽だけでなく、厳しい音楽で元気になることだってある。厳しい体験で、目が覚めることだってある。ただ自分が、この厳しさを力に変えていける存在であることに気づくだけである。優しい空気が、人を女々しくする。我々人間は、雄々しく連なるアルプスのように、勇ましくあれる存在であれることを、忘れちゃならん。誇り高き人間であることを、忘れちゃならん。
コメントを残す