罪の意識を抱えて生きるようになったのはいつからだろう。[301/1000]

いつからだろう。私は24時間いつも、社会道徳を犯して生きているという罪の意識を抱えている。そんな潜在意識が明らかになったのは、昨晩、警察に捕まるという夢を見たからだった。私は車で暮らしているけれど、いわゆる車中泊スポットといわれるような道の駅で寝ることは苦手で、適当な公園や、山深くの登山口や、河川敷に車を下ろして、なるべく人気のないところで寝起きする。犯罪ではないけれど、当然褒められることでもなく、現代道徳ではグレーである。こうした後ろめたさが罪の意識を生み、警官に声をかけられやしないかと内心怯え、次第に私は自分を無法者だと認識するようになる。

極寒の夜に、外に人の気配がして目を覚ました。敵意のある足音や不気味な足音を聞くと一瞬で目が覚める。外で寝ていた時は、寝袋からサッと一瞬で抜け出して、身を翻して戦闘態勢をとったこともあった。人間の動物的な本能を感心する。ドアをコンコンとノックされ、カーテンを開くと懐中電灯をもった人影が3人見える。これまでに数えきれないほど同じことが起きているので、彼らが警官であることはもう分かっている。私は寝袋に入ったまま上半身だけ起こしてドアを開け、言われるがままに免許証を差し出す。警官は私が犯罪者や身元不明人でないことを確認すると免許証を返し、気の利いたような利かないような一言を残して去っていく。

 

こうして日本の治安は守られているのだと感心しながら、私は自分が治安を脅かす立場にいることを認識して絶望する。いつの日か、この生活を始めたころは、自分を善良な市民だから安心してくださいと警官が話したことがあった。とんでもない。善か悪でいえば、私は自分を悪人だと信じている。罪の意識に苛まれて、毎晩、毎晩、ドアをノックされることを怖れている。秩序の内にある権利や保障も、私には適応されないものだと思い込んでいる。この罪の意識が、人と関わることを難しくする。自分のような悪人が、善良に生きている人間に、話しかけることも、話しかけられることも、あってはならないように感じてしまうのだ。ここに書き残す言葉も、すべては堕落した悪人の言葉である。もしこれを読む人間に悪があるのなら、いくらか慰めになるかもしれないが、これを読む人間が善人であるならきっと憎しみしか感じない。

比較するものでもないかもしれないけど、この世界には道徳を破った結果、法を侵した人間もたくさんいる。そうした人間と比べると、職質をされる程度の私の罪など、たかがしれているのだろう。生れながらの宿命で、犯罪に染まらざるを得なかった人間は、どんなに不幸で、どんなにクズだろう。君は社会によって裁かれなければいけないけど、もし罪の痛みを自覚してるなら、君は誰よりも悲哀の涙をこぼすはずだ。

 

八重桜が一本綺麗に咲いている。花は罪を知らない無邪気な存在だから人間を癒すのかな。

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