70センチの穴20個に、砕石を埋め終わった。永遠かと思われた過酷な労働も、ひとまずこれで終わりだ。9月から整地をはじめ、樹木を伐り倒し、10月から基礎工事にとりかかり、穴掘りと砕石の運搬に追われた。結局、一トントラックで4杯と、軽トラ1杯の砕石をつかったことになる。ここまで2ヵ月かかったが、もうひと踏ん張りだ。難所であるが、基礎石を置いて、土台を水平に完成させてしまえば、あとは変化を楽しめるようになるだろう。
身も心も疲弊するが、それでいい。この世に授かった肉体をとことん使い果たし、ボロ雑巾のように、くたくたになって眠りにおちれば、明日にはまた、太陽が新たな力を吹き込んでくれる。
東京から珍客がきた。森で採れたキノコをつかったホウトウ鍋を囲い、それから火を囲った。話題は火からはじまる。不思議だ。どれだけ火を見ても、飽くことがないと。ごもっともだ。おれたちはどうして、飽くことなく永遠と炎を眺めることができるのか。ゆらゆらと揺らめく炎のうちに何を想い出すのか。
かまどや囲炉裏、薪風呂が姿を消し、生活から火がなくなって久しい。火のない生活に人間は耐えうるだろうか。暮らしは便利になっても、故郷との交流を失った魂は、悲痛の叫びをあげてはいないか。火の誕生によって人間の歴史がはじまったのだとしたら、火が失われることで人間は終わってしまうのではないか。
冬は孤独さゆえに高貴に思われるが、実は、人間の生活に火を灯したことがいちばんの功績にちがいない。火は生活を美しく照らし、火を囲う人間までも詩的にするだろうから。
2024.11.3