皮を食えば皮膚に効く。身は血を潤し、細胞を育む。芯は奥深く内臓を支え、種は命の源、力を紡ぐ。ゆえに、全てを丸ごと食う。野菜は皮のついたまま、リンゴは芯まで丸かじり。米は力の種となり、日本の精神、奥底に据わる。もし、日本人が米を食わなくなれば、日本人は絶滅する。米を食えば食うほど、魂は賦活する。野菜は大地の母、獣肉は天なる父。米には父と母が宿る。ゆえに、米は主食足りうる。
私は玄米が死ぬほど好きである。今日、玄米を食ったとき、美味さのあまり泣きだしたくなった。おれは玄米を食う度に、日本人であることを誇りに思う。己の深く深くにある、揺るぎない存在を感じ、その大きな存在と繋がる感覚を得る。よく働き、腹が空いてるときの米は、特に最高だ。命の根源、宇宙の力が、肉体の深く深くまで湿潤してくるのがよく分かる。生きることが神に肯定される。存在が肯定され、文字どおり元気になる。鬱になるようなら、骨抜きにされた白米ではなく、玄米を食えば元気になる。
私はパンも好きである。だが、これは玄米のような、底の底から湧き出る愛ではなく、肉体と欲望の好き嫌いでしかない。肉体はパンを美味いと感じるが、精神の深く深くでは、神に背いているようだ。欲望は地上を謳歌する。だが、パンはどうやっても、日本人の主食にはなりえない。ちゃんとした精神を大切にするかぎり、米を食わねば身体は斃れる。
食い物が欺瞞に満ちるとき、自律神経は哀れに痩せ細る。息は腐臭を放ち、言葉は蠅のように耳障りな音と発する。腹はたるみ、臓器は汚れ、身体の軸という軸が歪んでいく。いいか、米を食うことだ。たらふく米を食って元気になろう。
2024.9.14
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