人間は人間の運命に逆らっちゃいかん。そこに早く気がつかないと、不幸な一生を送ることになる。[809/1000]

昔のことだが、私は信州の安曇野というところに旅をしたんだ。バスに乗り遅れて、田舎道をひとりで歩いているうちに日が暮れちまってね。暗い夜道を心細く歩いていると、ぽつんと、一軒家の農家が建っているんだ。庭にはりんどうの花が、いっぱいに咲いていてね。開けっ放した縁側から、明かりのついた茶の間で家族が食事をしているのが見える。まだ食事にこない子供がいるんだろう。母親が大きな声で子供の名前を呼ぶのが聞こえる。私はね、今でもその情景をありありと思い出すことができる。庭一面に咲いたりんどうの花、明々と明かりのついた茶の間、にぎやかに食事をする家族たち…、私はそのとき、それが本当の人間の生活ってもんじゃないかと、ふとそう思ったら、急に涙が出てきちゃってね。人間は絶対にひとりじゃ生きていけない。逆らっちゃいかん。人間は人間の運命に逆らっちゃいかん。そこに早く気がつかないと、不幸な一生を送ることになる。分かるね、寅次郎君。分かるね」

男はつらいよ 寅次郎恋歌

 

ちょうど先月まで、とある農家さんの世話になっていた。まだ夜も深い3時半に布団から起きて、急いで作業着に着替えて、4時10分前には畑に到着した。空を見上げるとひらけた月がよくみえて、ちょうどペルセウス座流星群がきていたころは、星が三つばかり流れていくのを見ることができた。

少し待つと、遠くから軽トラックのライトが二つ近づいてきて、畑の主人と嫁さんが出荷用の箱をたくさん抱えてやってくる。挨拶をして、気持ちを引き締めて、さあ皆でいっせいに畑に飛び込むと、葉にたまった朝露を全身に浴びながら、いっせいにキャベツを収穫していく。

 

収穫のスピードには経験と技量が如実にあらわれる。一つあたりにかかる差が5秒やそこらでも、3時間で何十個も何百個もきるわけだから、その差は歴然となる。この嫁さんの収穫が早いのなんのって、キャベツを鷲づかみにできる手の大きな男に勝って、とてもよく働く方だった。わたしの隣に嫁さんがきたときは、絶対に負けるまいと密かに闘志を燃やしたが、いとも簡単にあしらわれ、やはり何度挑んでも、嫁さんの速さにはかなわないのだった。

 

そんな嫁さんだが、主人の呼びかけには”はい”とだけ返事をし、言われたとおりの仕事を献身的にこなすのだった。私はこの農家をみて、人間夫婦のあるべき姿を見たようだった。主人に仕える嫁さんの姿は美しく、それでいて幸せにちがいないと確信したのだった。

封建的とも言われよう。だが、人間の生活とは、自分より大きな存在に仕え、尽くす営みにあるのではないのか。庭一面のりんどうの花。明々と明かりのついた茶の間に、にぎやかに食事をする家族たち。逆らっちゃいかんという人間の運命に、逆らいつづけた結果が、現代人の陥る迷妄ではあるまいか。縛られ縛られるも、深い深いところから、とても温かい気持ちになる。そんな心持ちを幸せと呼び、霊的な敬意を示してきたのではないのか。

 

2024.9.6

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