川で洗濯をする。雨水で食器を洗う。土のついた泥だらけの手で米を掴んで食う。化学物質にまみれたならまだしも、自然に汚れたものは、汚れといえるのだろうか。ばい菌を食ってる実感はある。風邪はひかない。身体も元気だ。抗菌とは対照に森に生きる菌を丸ごと食って生きている。
だが、訳あって放っておいた足の傷口から黴菌が入り込み、炎症がどんどん広がっていった。このまま指が壊死しては困ると思い、近くの町医者に診てもらうことにした。待合室には誰もいなかった。呼ばれて中入ると、何故かベージュのハットを被ったよぼよぼの爺ちゃんが一人いて胸がざわついた。応答がパッとしない。それで、患部を見せると、親指の爪を抜くという。もっとうまい処置があるような気がしたが、ここは爺ちゃん先生に従うしかあるまい。
それにしても、切開を要するような、大手術を乗り越えてきた患者たちを尊敬する。これから麻酔を打ち、ペンチで爪を切って引き抜こうとする爺ちゃんを前に、他人に我が身を任せられる人間の強さを知った気がした。
悪い予感は的中し、手術は拷問となった。麻酔の効きが弱かったからか、爪を抜く激痛がもろにくる。5分や10分で終わるかと思いきや、15分、20分経っても終わらない。ついに40分経ったころ、ようやくガーゼが当てられ手術が終わった。その間、激痛のあまり気を失う人や、爪はぎの拷問にあっただろう迫害者を想像した。麻酔ありでもこの痛さである。もし運命が悲惨を愛したなら、いったい世界はどうなっちまうんだろうと怖ろしくなる。
何も痛い話をしたかったわけではない。手術中、隣で世話話に付き合ってくれた、受付の婆ちゃんに救われたことを記憶したかった。40分先生を独り占めしても、後ろに患者がいなかったことを考えると、きっと暇で退屈していたのだろう。だが、激痛がはしるなか、隣にのこのことやってきて、世間話をしてるだけでもかなり気はまぎれた。まるで、戦場の天使として活躍したナイチンゲールに見えた。爺ちゃん先生を前にすると不安にしかならなかったが、婆ちゃんが隣に来ると心から安心した。この町医者はこうして、患者の感情の起伏の帳尻合わせているにちがいない。
婆ちゃんは、術後も予備の包帯を持たせてくれたり、靴がはけないためにスリッパを貸し出してくれたり、後から薬局が締まっていることを思い出して、休日当番薬局の場所まで電話して教えてくれたりした。何度も言うが、きっと患者が少なくて暇をしているのだろう。それでも、こうして手厚く看護するのは、多忙で泣く泣く患者ひとりに寄りそうことを諦めざるをえない、心ある若い看護師たちの夢にちがいないと想像する。
世界はやさしい。だが、やさしさを埋もらせないためには強さがいる。ナイチンゲールはそうして戦ったはずだ。苦痛をこらえ、涙をこぼさず、悪意に挫けそうになるところを微笑んで。
2024.9.5
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