感情とは無責任なものである。熱すれば聞こえのいいことを言い、冷めれば真逆のことを言う。ゆえに、約束や規律、恩の貸し借りに行動の基準を置く。貰ったものは返すこと。一度定めたことは、何があっても守ること。感情の起伏に関係なく、自分を死なせ、宇宙律のなかに投げ入れる。気分任せにでかいことを言ったものの、三日坊主で終わる者もいる。そんなことを繰り返せば、自分が信用できなくなる。無論、はなから自分など、信用に足る存在ではない。誰だって仕事が嫌になることはある。それでも規律に殉じて身を捧げるから、己は強く逞しくなっていく。そこのところ、感情第一になりすぎると足をすくわれる。何をしようにも思い通りにならず、社会は不合理に満ちる。ゆえに最後は覚悟。自分を死なせ、宇宙に殉ずる覚悟。誠の道はそこに拓かれよ。
8月いっぱいで今働いている畑を終える。9月からは別の農家で働く。とても気持ちのいい方たちで、もっと働きたい気持ちが強いが、これは当初の約束である。最終日の本日、感謝のしるしにと、ご夫人から手作りのチーズケーキをもらった。甘いものが好きなのでとても嬉しい。だが、もらってばかりで申し訳ない。感謝しなければならないのはこちらのほうだというのに。
恩に生きたいと願う。恩のためだけに生きたいと願う。だが、この三十年の生を振り返ってみれば、いったいどれだけの恩を返せただろう。親には何も返せていない。友にも何も返せていない。恩師にも、職場の方たちにも、何も返せていない。返しきれぬほどの恩を抱えたまま、一度は地に堕ちた。考えれば考えるほど傲慢で恥の多い半生だ。
生活を築かんとする動機はここにある。真面目に働き、勤めれば、親は安心する。己を律し、精神に生きれば、師への顔が立つ。猟師となって、鹿や猪を取れば、友に好きなだけ肉を振る舞える。これまでの借りのほんの一部を、あと少しで返せる。そんな日を今は夢に見る。
2024.8.31
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