信仰の弱い人間は、羽を失い現世に堕ちた。非物質は物質へと堕落した。無機物は有機物へと堕落した。神は人間へと堕落し、人間は動物へと堕落した。幸福は淫蕩だ。かぎりなく純潔な幸福でも、宇宙からみれば、やはり淫蕩なのだ。淫蕩な幸福に包まれて、純潔なもの、すなわち魂と自由を失った。もし、真の自由と呼ぶにふさわしいものがあるのなら、それは愛のもとに肉体を忘れられるものだったに違いない。この世に分け隔てられ生まれた俺たちは、肉体から解放されたときにのみ、愛を体験する。俺たちは絶えず、他人と繋がることを心の底で願っているが、他人と最も繋がりを感じられるのは別れの時だ。死に別れ、肉体を失って、悲しみを負う精神体となる。あるときは、迫害と磔刑に遭い、あるときは戦いに敗れ、切腹した。悲劇もあったが、愛は、信仰は、神は、決して人間を見捨てない。
新しいものには現世の利得がある。今日、いちばん得をするのは、新しいものを好き好んで取り入れる人間だ。古い人間は大体、損をする。古民家のリノベーションじゃないけれど、保守的な人間のなかにも、古き良きものを残して、時代に合わないところは変えていこうとする人間もいる。彼らは少しばかり得をする。偉人や超人とよばれるような存在は、伝統を継承しながら、破壊し、創造する。似ているが、彼らの行為の源泉には、強烈な信仰がある。高貴であり、野蛮である。
私に恥じることがあるとすれば、信仰の弱さである。信仰が弱い人間は、新しいものを取り入れたとき、古いものが簡単に淘汰されてしまう。力の破壊ではなく、無力の淘汰である。これを堕落という。私が古いものを重んじ、新しいものを敬遠するのは、ただの克己にすぎない。頑固者に見えようが、実際、自ずから頑固になるのである。師の言われたとおりに努め、伝統には黙って従い、秘められし愛国心を強めるのである。損をすることは増えた。じっさい、金がなく、生活保護にも満たない暮らしをしている。だが、貧しくなろうとも、精神力と生命力が底上げされる感覚がある。無論、自虐は駄目だ。そのところは履き違えないようにしなければならない。俺は人間の尊さを信じるだけだ。それが人生だと信じるだけだ。
2024.7.12
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