亡霊として生きるにはあまりにもこの世は暗すぎる。肉体として生きるにはあまりにもこの世は明るすぎる。[732/1000]

「主よ、どこへ行かれるのですか。」イエスが答えられた。「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」

ヨハネによる福音書 13.36

「汝、我が民を見捨てなば、我、ローマに行きて今一度十字架にかからん」

己の幽体は永遠を旅する詩人に力を得る。霊的な人間は、そうして身を擲つこともできるだろう。だが、生身の肉体を労わらざるをえない、今日の堕落した人間には、生の側から助け舟がいる。生きている人間には、その欲望ゆえに裏切られることも多い。だが、死んだ人間の言葉からしか得られない純粋な魂があるように、生きている人間からしか得られない体温と血肉もある。同じ時代を生きることにはそういう意味がある。魂は永遠を欲するが、心は涙と苦しみを分かち合える友を必要としている。亡霊として生きるには、あまりにもこの世は暗すぎる。かといって、肉体として生きるには、あまりにもこの世は明るすぎる。信仰は力。生命は力だ。力の出るほうへ。生死の問題は取るに足らない。

 

2024.6.20

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